「何もない」は、結果を出すためのレシピではありません。
「何もない」はただ単に「何もない」です。
それ以上でも以下でもありません。
何か結果を求めるならば、ほかの手段を探ったほうがいいでしょう。
「何もない」は結果のための手段ではないので。
「何もない」は別に、何の結果も出しません。
結果的に結果が出たとしても、それはあくまで「結果的に」です。
じゃあ何のために何もないを求めるのか。
それはそれが「何もない」だからです。(笑)
人はたいてい、結果を求めます。
「何もない」なんて、意味がないと考えます。
そのとおり、何もないには意味がないわけですが、じゃあ一体何もないの存在意義は何なのかと。
それは「何もない」ということです。
なんにもないということが、「何もない」の存在意義です。
意味がないということが、意味です。
つまり「最強」ということです。
…
人は何かになろうとしますし、何か意味を求めます。
何かになったなら、それはその何かであり、意味があったなら、それはその意味です。
そのどれでもないということは、つまり最強です。
無意味でいるということは最強であり、何でもないということは最強です。
「何でもないでいる」ということが、すでに意味です。
何でもないにいたからといって、何もしないというわけではありません。
やることはやります。
と同時に、なにもやってません。
「何か」ではあります、もちろん。
肩書は背負っているでしょうし、立場や役割もあるでしょう。
と同時に「何」でもありません。
という「そこ」です。
何かでないということは、最強です。
最強とは何かということを、考えてみましょう。
パワーとは、持っているから使えます。
パワーは使う前にまず、持っていなくてはいけません。
まずはパワーを持ちましょう。
そしてパワーを持っていたなら、別に使わなくてもいいのです。
パワーを持っているということが、すでにパワーです。
パワーを持っていれば、すでに余裕です。
全てがどっちでもいいという余裕。
何がどうであろうとも、自分にはパワーがあるという余裕。
そこに居さえすれば、それでいいのです。
パワーとは、「何か」ではなく、「何でもない」ということ。
「何か」はそこで終わりですが、「何でもない」はいつでも何かになりうる可能性を孕んでいるということ。
いつでも何かを繰り出せる状態であるということ。
いつでもパワーが飛び出せる状態。
それがパワーです。
…
「何でもない」というパワー。
それはどのように得るのかというと、「何か」をやめることによって得ます。
「何か」でないなら、すでに「何でもない」です。
それは「何か」をすることによって得るのではなく、「何か」を捨てることによって得ます。
通常の発想の反対です。
だから、いつもと同じ発想でいたら手に入りません。
発想の転換が必要です。
そこにいたら、何もしていなくても、勝手にうまくいきます。
「そこにいる」ということが大事です。
「何かをする」ではありません。
「今、そこにいるか」ということだけに100%心を砕きます。
「何をしようか」ではありません。
「今そこにいるかな?」ということです。
そこ。
つまり、何でもない場所。
何かをして手に入れるのではなく、何かをしないで手に入れる場所。
大事なのは何をするかではありません。
「どこにいるか」です。
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