何も失えない

私たちは何も失うことはできない。

なぜなら、初めから何も持っていないからだ。

私たちは何も持っていないし、持つこともできない。

私たちは無だし、全ては無だ。

 

すべては妄想の中で展開する。

手垢のついた言葉だけど、それは本当。

無だとは思えないし、妄想とも思えない。

それは文字通り「思えない」だけ。

 

人は「そう思っている」という思いの中で生きている。

それはあくまで「思い」。

思いが起こっている。

ただそれだけ。

確かなものは何もない。

 

不安が起こったとしても、それは不確かなもの。

それは掴めもしないし、固定化もされない。

 

このフワフワ感。

何も掴めないし、確かなものは何もない。

そのことに不安を感じても、それさえも不確か。

実際にそんなものはどこにもない。

 

このどうしようもなさ。

どうしようもなく、どうしようもない。

何も掴むことはできない。

固定化された何物もない。

全ては妄想。

 

このどうしようもなさの中に、ただ居る。

なす術もなく、ただ居る。

 

私たちには、なす術がない。

なぜなら、そもそも何もないからだ。

なすべき何かも、なされるべき何かも、何もかも。

 

「何」でもない。

安心でもないし、不安でもない。

確かさでもないし、不確かさでもない。

ポジティブでもないし、ネガティブでもない。

 

「妄想」ということを知るだけ。

ただ単に、それだけ。

全部が全部、妄想。

 

これは知識ではなく、事実。

解釈ではなく、真実。

何が本当のことか、よく見極めてみよう。

それって本当に本当ですか?

 

本当に、本当ですか????

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