人は神であり宇宙を創造できるとは、こういうこと。

結局人は、実利を求めています。

なんだかんだいって、お金が欲しい。それも大量に。

なんだかんだいって、恋人が欲しい。それもとびきりのイケメンが、とびきりの美女が。

なんだかんだいって、安心が欲しい、仕事はしたくない、優雅に遊んで暮らしたい。

なんだかんだいって、それが本音です。

 

それでいいではありませんか。

 

なんかこんな虫のいい願いはいけないと、謎に思いがちです。

でもよく考えたら、いけない理由なんてありません。

 

我々はあらゆることに、謎にストップをかけています。

「あれはいいけど、これはダメ」「これはいいけど、あれはダメ」

 

しかし真実は「何でもいい」です。

なぜなら宇宙にルールはないから。

 

宇宙に「法則」ならあります。

「こうすればこうなる」という法則ならあります。

しかし「こうしなきゃいけない」「こうすべき」というルールはありません。

 

ルールというものは、もともと存在しません。

全部後からこしらえたものです。

 

「何でもいい」

むしろこれが、宇宙のルールです。

 

 

さあ、何でもいい時、あなたは何をしますか? どうしますか?

何でもいいんですよ? 完全に自由です。

頭の中は。

 

頭の中は完全に自由です。

何をどう望んでも、自由自在、変幻自在、縦横無尽、無制限。

 

言われてみれば、そうですね。

改めて言われてみれば、そうです。

頭の中で何を考えたからといって、別に捕まるわけじゃないし、法に触れるわけでもありません。

 

頭の中は「宇宙」と一緒です。

縦横無尽。無制限。

何をやってもいいし、何でもできる。

全知全能の神が宇宙を創造するように、あなたも頭の中を自由に創造したらいいのです。

 

 

「現実」は不自由ですね。

あれをしてはダメ、これをしてはダメ。

人の目もあるし法律もある。

物理的制約もあるし、時間的、能力的な制約もある。

でも、その不自由さを頭の中にまで持ち込む必要はありません。

 

我々はうっかり、現実の不自由さを、頭の中にまで持ち込んでしまいます。

だから発想が不自由だし、常に何かに縛られた感覚があります。

 

しかしよく考えたら、頭の中と現実はまるっきり別です。

頭の中は宇宙です。

自由で無制限でノールールです。

そのことを改めて思い出しましょう。

 

つまり、自分は神ということですね。

頭の中という宇宙を、自由にクリエイトする神です。

その神が「いや人の目が…」とか「ちょっと予算が…」とか言うの、オカシイでしょう。

縦横無尽に何の制限もなく、やりたいことをやりたいままにやるでしょう、ふつう?

現実の中では100円200円に汲々としていても、頭の中は100億200億でしょう?

現実はどんなに世知辛くても、頭の中は愛と平和とパラダイスでしょう?

 

 

相変わらず「頭の中だけで考えていてもバカらしい」と、「無い現実」を見てゲンナリしますか?

神のパワーを自ら放棄しますか?

 

それもいいですね。

神は全知全能だから、自らに制限をかけることも自由自在です。

 

ただ覚えておいてください。

あなたはそれを自ら選択しているということを。

 

誰も神に手出しも口出しもできません。

 

矮小で卑屈で取るに足らない存在だと認識しているなら、自分でそれを選択しているのです。

自分以外に誰も、それを選択し、採用する権限はありません。

誰も神に手出しも口出しもできません。

自分の頭の中をクリエイトできるのは、自分だけです。

 

「なんかあの人はすごいけど、私は全然すごくない」というならば、それはあの人は「すごい」を採用し、私は「すごくない」を採用しているという、ただそれだけの話です。

何でも選択できる状況の中で、あの人の選択と私の選択がそれぞれ違うという、ごく普通の話です。

 

神は自由だから、何でも自由に選択します。

自由に選択するから、あの神とこの神では全然選択が違います。

あの神はこの選択をし、自分はこの選択をした。

あなたはその選択を、自分でしました。

 

やり直したい?

もちろん、自由にどうぞ。

頭の中はあなたの自由です。

誰の許可もいりませんし、何の制約もありません。

「自由」しかありません。

 

 

この話、理屈ではその通りと思うかもしれません。

でも同時に「現実は違うだろ」って思いますね?(笑)

「とは言っても現実がね~」とは、よく聞く言葉です。

 

それだけ現実の力は強いのです。

人は常に現実に引っ張られ、常に現実に引き戻されています。

だから何も変わらないのです。

 

「変わる」とは、現実の重力を振り切り、無限の宇宙へと飛躍することです。

いつまでも現実の重力に引っ張られていては、それは変われません。

変わりたい変わりたいと言いながら、いつまでも現実の重力圏にいたら、それは変わりません。

 

宇宙にはルールはないけど「法則」ならあります。

変わりたい変わりたいと言っているだけで変わっちゃったら、そりゃあ法則に反します。

 

 

あなたは宇宙を持っているのです、現に、頭の中に。

自分の自由にできる空間を、頭の中に持っています。

そこをどのようにクリエイトしようと、あなたの自由です。

これがワクワクしないなら、一体何がワクワクしますか?

 

「うっそ!自由にしていいの!?マジで!?!?」

「自由にしていい」となったら普通テンション上がりますよね。

現実なら。

 

現実の100億200億ならテンション上がりますね。

しかしそれは、現実を有難く崇め奉っている「現実教」の信者だからそうなっているだけで、現実教の信者をやめたら、それが頭の中の話だとしても「うっそ!自由にしていいの!?マジで!?!?」と、同じようにテンション上がるハズなのです。

たまたま今現在、現実教の信者をやっているから、そうならないだけの話です。

現実を固く信じて疑わないから。

でしょ?(笑)

 

 

「自由にできる宇宙を自分も持っている」

この話があまりにも突拍子もなさ過ぎて、にわかに腑に落ちないのは理解できます。

そりゃあそうです。

今まで生きてきた感覚と、あまりにも違いすぎますから。

 

しかし、「ラブ・ストーリーは突然に」です。

それは突拍子もなく突然、降ってわいてくるのです。

突拍子もない展開は、突然降ってわいてきます。

それを受け取るかどうかは、あなた次第。

 

あの日あの時あの場所で宇宙に出会わなかったら、

僕等はいつまでも見知らぬ二人のままです。

 

さあこの邂逅を、時間をかけてゆっくり吟味してください。

何が真実か。そして自分はどうしたいのか。

 

答えはもうすでに、決まっていますね。

後は時間をかけてゆっくり、納得していってください。

 

 

 

コメント

  1. るんるん より:

    こんにちは…いつもありがとうございます。こちらの記事ですが、
    それでも、その望みが本心なのかエゴなのかを見極めて、エゴであれば手放しだほうがいいんですよね…宇宙の流れとしては今持っていないんだから、手に入れようと悪あがきしないほうが宇宙の流れに乗っているのかな❓執着してはいけないということと、望んでいいということの狭間で揺れています。不平不満を手放し、全てを感謝して受け入れることが出来るように毎日祈っていますが、なんでこうなんだろう、ああだったらよかったのに、こうだったらよかったのに、と現状に抵抗の気持ちが湧いてきます。妄想なのですが。何かアドバイスがあればよろしくお願いします( T_T)

    • こーへ より:

      おはようございます。
      非常に難しく考えすぎかなと思いますね。
      こんがらがった糸は丁寧にほぐしていくだけが解決ではなく、バツンとぶった切ってしまったり、そもそも糸を放棄してしまうという方法もあります。
      「え〜!そんなんでいいの!?」という思ってもみないような方法が、結局解決だったりします。

      • るんるん より:

        え〜‼︎
        そういえば、結局どうでもいいし、何でもいいということでしたね(笑)
        最近は色々考えすぎて、疲れてしまっていたので、こーへさんのいう、ゆるむ、脱力する、を心がけていて、ほぼ放心状態です。 (_ _).。o○
        これからも、ゆるゆるでやってみようと思います。
        早朝からありがとうございました。これからもよろしくお願いします。(๑˃̵ᴗ˂̵)

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