幸せのある場所

人はなぜ、幸せを求めるのでしょう。

ほとんど、必ず、どんな人も、幸せになりたいと思いますね。

それは川の水が上流から下流に流れるように、自然にそう思います。

 

理由なんてありません。

むしろ重力と同じような「法則」です。

高いところから低いところに物が落ちるように、自然と我々は幸せに引き付けられます。

まるで幸せの引力にいつも引き寄せられているかのようです。

 

そうです。

それはその通り、自然の法則なのです。

 

人は本来、幸せであるのが自然な状態なのです。

そして、常に自然の状態に戻ろうとしています。

それが、我々が常に幸せに引き付けられる理由です。

いつも我々が「幸せになりたい」って思っているのは、そういう理由です。

 

つまり幸せとは手に入れるものではなく、元に戻ることです。

不自然な今の状態から、自然な元の状態に戻ろうとする、自然の働きです。

だから、幸せになりたいといって何かを求めるのは、見当違いです。

何かを得て、幸せになるわけではないのです。

 

本来の方向は、手放していく方向。

不自然な状態を手放していく方向。

そして、元に戻っていく方向です。

どこかへ「行く」のではなく、元の場所に「帰る」のです。

 

つまり幸せとは、「特別なこと」ではなく、至って普通のこと、ごく当たり前のことなのです。

 

 

幸せとは、何かを得ること、何か特別なことをして手に入れるもの、という認識があったなら、改めたほうがいいでしょう。

幸せとはむしろ当然のこと、当たり前のこと、普通のことです。

つまり、大したものじゃないのです。

 

幸せは大したもの、何か素晴らしいもの、手に入りにくいもの、という認識が、逆に幸せを遠ざけます。

そのように何か「遠くにあるもの」という認識が、事実として、幸せを遠ざけてしまうのです。

あなたが、幸せとは手に入りにくいもの、得難いものと感じているなら、それは現にあなたがそう思っているからです。

あなたの思った通りの現実が、そこにはあります。

 

幸せは身近にあるもの、当たり前のもの、いつでも手に入るものという認識が、事実として幸せをそういう存在にします。

いつでも簡単に手に入るという認識によって、いつでも簡単に手に入るものになるのです。

 

そして幸せは、事実そういう存在です。

何しろ人はもともと幸せなのですから。

これ以上はありません。

 

「もともと、そう」

これ以上身近なことは、ありません。

 

「なんだ、こんな簡単なことだったのか」とわかれば、もはや幸せに対して躍起になることはありません。

いつでもそばにあるものとして、くつろいでいられます。

いちいちそれを欲しいだとか何だとか、思わなくなります。

気にならなくなるのです。

 

幸せかどうかが気にならない。

これがすなわち、幸せではないですか?(笑)

コメント

タイトルとURLをコピーしました