人は常に、何かをしようとします。
せずには居られないのです。
常に何かをしていないと、不安です。
常に何かをしています。
「何もしない」ということが、できますでしょうか。
何もしないで居られますか?
不安でとてもできそうにないですか?
そもそも何もしないことは間違っているとお思いですか?
人は常に何かをして、頑張って、前に進まないといけないとお考えでしょうか。
…
何もしなくたって、別に死にはしません。
必要最低限のことさえしていれば、別に死にはしません。
それでも人は、なんやかんやと、余計なことをせっせとしたがります。
「何かしてなくちゃいけない」
ほとんどそれは、強迫観念です。
人の心に植えつけられた、当たり前の前提です。
でも本当は、そんなことはありません。
ただそう思い込んでいるだけで、本当はそんなことはありません。
…
「何もしない」がこれほど忌避されるのは、不安だからです。
人はほとんど、不安を避けるために、何かをします。
不安がなかったら、これほどまでに何かをするでしょうか。
仮に我々から不安を完全に取り除いたら、どうなるでしょう?
…
まず、不安だからやっていたことは、全て止みますね。
不安がなくなったら、不安を解消するためにやっていたことは、全て止みます。
そしてそのまま、何もしないのでしょうか。
死ぬまでずっと、何もしないままでしょうか。
それはちょっと考えられません。
自由にやりたいことをやるはずです。
不安という重石が取れたら、のびのびと自由にやりたいことが発露するはずです。
不安がなければ、自由に選びたい方を選ぶはずです。
やりたければやるし、やりたくなければやらないでしょう。
ちょっと想像してみてください。
自分に不安がなかったらどうか。
嬉しさと安心感がこみ上げてくるのではないですか?
「不安がない」というだけで勝手に、嬉しさと喜びがこみ上げてきませんか?
不安という重石を取り除いたら、喜びが勝手に泉のように湧き出してきます。
そして喜びと共に行為が、自発的に湧き上がります。
喜びの表現として、行為が湧き上がります。
「勝手に」です。
ただ1つの要素。
不安を取り除くという、ただ1つの要素だけで、あとは勝手に物事は展開します。
どうですか?
不安を取り除いてみたいと思いませんか?
…
不安は幻想です。
あなたも「知識として」は、それを知っているかもしれません。
「知識としては知っているけど、現に不安を感じている」
そんなところでしょうか。
では一緒に見てみましょう、その不安とやらがどこにあるかを。
それは妄想の中にありますね。
あなたの頭の中の、妄想や想像です。
そこ以外にはありません。
目の前には、不安を呼び覚ます物事や出来事があるかもしれませんが、それ自体が不安ではありません。
事実として、それはどこにも無いですね。
実際それは「現物」としてどこにも存在しないですね。
そもそも「頭の中」って何?
どこにあるのそれ?
それもそもそも、妄想ですね。
…
事実はあまりにもあっけなく、単純です。
事実は、あるものがあるままに、ただあるだけです。
その中に、不安なるものは一切見当たりません。
というか、何もありません。
妄想ではなく、事実をただひたすら見ていけば、「なんにも無い」に行き当たります。
実際なんにもないじゃん。
何があるの?
それって本当にありますか?
本当にあるって言えるものが、現に実際にあなたが観察した中に発見できましたか?
本当にそれはありますか?
何をもって「ある」って言っていますか?
それは考えや解釈ではないですか?
現にないものを考えによって「ある」ということにしていませんか?
「見る」ってどういうことだろうと「考え」ずに、ただ見てみたらどうでしょう。
考えでも期待でも予想でもなく、ただ見てみたらどうでしょう、ありのままを。
無意識の固定観念が、自覚の無いまま邪魔をしているのかもしれません。
あるいは「わかろう」としているのかもしれません。
それはわかるものではなく、理解するものでもなく、ただ見たまんまそのままです。
例えば目の前にあるコップを見て、「なんでこういう色なんだろう」とか「ここにこういう模様をあしらった意味はなんだろう」と考える。
そして、「なるほどね、こういう用途に使うからこういう色で、ここに模様を入れるのはデザイン的にそういう意味があったのか」と理解する。
それは完全にコップを見逃しています。
その理解は完全に妄想です。
コップを全然見ていません。
コップはただ単にそれとして、そのように、そこにあるだけです。
それをただそのまんま、受け取るだけです。
メッチャ簡単です。
考えが一瞬でも顔を覗かせることはありません。
それが、そのように、ある。
それだけ。
そのシンプルさ。
世界の最初源のシンプルさ。
そこに立ち返りましょう。
現代の我々は、難しいのが普通になっています。
だから逆に、簡単さが難しくなっています。
今デフォルトになっちゃっている難しさを解きほぐし、シンプルさに沈潜していきましょう。
その時不安は消えます。
そんなもの初めからありませんでした。
そして本来の自分に帰りましょう。
初源の自分、もともとの自分。
喜びの溢れ出す泉。
「そんなの夢だよ」ではなく、現実です。
むしろメッチャ現実です。
幻を本当だと思い、本当を夢だと思う。
その逆転現象を正常化しましょう。
正常化は正常に見ることによって達成できます。
喜びも嬉しさも正常なことです。
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