解決とは分離を統合すること

問題は全て、「分離」から起こります。

  • 思ったことと違う
  • 希望と違う
  • 嫌なことは避けて、いいことだけにしたい

 

問題とは全て、「あるべき状態」と「そうではない現況」のミスマッチ、と言えます。

つまり「分離」です。

そして、問題解決とは、その分離を統合すること、と言えます。

 

そして統合とは、

  • 「そうではない現況」を「あるべき状態」にする
  • 「そうではない現況」をOKとする

のどちらかになります。

 

普通の発想は、「そうではない現況」を「あるべき状態」にする、です。

努力や工夫で、「そうではない現況」を「あるべき状態」に変えていくのが、今までのやり方です。

 

しかし、そのやり方は相当ハードルが高いです。

今までそのやり方でやってきた皆さんは、散々経験済みだと思います。

 

あるべき状態は達成が難しい上に、達成したと思ったら次の「あるべき状態」が発生し、キリがありません。

常にあるべき状態を求めて奮闘し続ける。

それはつまり、永遠の未達成状態です。

これはうまくいきません。

 

では、もう一方の選択肢はどうでしょう?

「そうではない現況」をOKとする、です。

 

「そうではない現況」をOKとする、ということ自体のハードルは高いかもしれません。

しかし、その1つのハードルをクリアしたら、あとは永遠の達成状態です。

1つのハードルをクリアすると、あとは永遠に終了です。

そこで終わりです。

 

そうではない現況にOKを出すことができれば、分離は発生しません。

そうであろうとなかろうと、どんな現況にもOKを出すことができれば、永遠に問題は起きません。

 

真の解決策はこちらです。

 

 

では、どうやって現況にOKを出すか。

ここは、そもそもなぜ分離が起きるのかの仕組みから見ていきましょう。

 

分離が起きるのは、現況とは違う「理想」が、頭に浮かぶからですね。

つまり、「思考」です。

現況とは違う、こうあって欲しい、こうあるべきという思考が、頭に思い浮かんでしまうからです。

 

それは人間という生き物の性でもあります。

より良く生きたい。

より快適に、もっと素晴らしく、もっと素敵にしたい。

根源的な欲求です。

動物として当たり前の欲求です。

 

そして、この欲求を押さえつけるという方法は、うまくいきません。

押さえつけても、そこに「ある」わけですから、何の解決にもなりません。

押さえつけても、欲求が消えるわけではありません。

 

つまり解決策は、その欲求自体をどうこうするのではない、ということです。

それについては相手にしない、そっちのほうを向かない、ということです。

 

ではどっちのほうを向くのかというと、行くべき方向、向かうべき方向です。

それは、分離が起きない状態、全てがひとつである状態です。

 

全てがひとつである状態。

どんな状態でしょう、それは。

 

それは、もともとの状態です。

 

もともと分離はありません。

分離を引き起こしてるのは、人間の思考です。

分離は人間の思考の中にだけ、存在します。

思考を無くせば、そこには何の問題もありません。

で、あるがゆえの、思考を停止してみる、であり、思考の外に出てみる、です。

 

思考が分離を生みます。

 

考えてみてください。

そのままで何か問題がありますか?

そのままの状態、もともとの状態に何か問題がありますか?

 

思考によって、そのままの状態、もともとの状態「でない」何かを生み出すから、分離が生まれます。

思考による解釈がなければ、それはただのそれでしかありません。

そして思考による分離によって、理想と現況のミスマッチが生じ、それが苦しみや問題となります。

 

 

人は理想を描いて、それに向かって邁進するから、成長する、発展する。

そういう考えが、今までの主流です。

その考えは言い換えるなら、「理想通りではない現況は問題だ」ということにもなります。

 

現にいま世界にはいろんな問題があるとされていますね。

それらは「問題視」によって「問題化」されています。

問題視がなければ問題化もありません。

つまり、思考によってわざわざ問題が生み出されているのです。

 

もちろん、思考それ自体が問題なのではありません。

思考を問題視するなら、それがすでに思考による問題化です。(笑)

思考が問題ではありません。

思考を全てと思い込む「偏り」が問題なのです。(やっぱり「問題」ですが 笑)

 

思考はあくまで、全体の中の部分です。

その思考を「全て」と思い込むことが、問題です。

そうではなく、思考は思考としての本来の「部分」に戻す全体性、全体という「ひとつ」に立ち返ることが大事です。

 

その全体性に立ち返るとは、何かをどうこうするわけではありません。

全体を俯瞰し、ひと掴みで把握するような視点に「居る」ということです。

何かを「する」わけではありません。

 

「そこ」では分離はないのです。

すなわち問題はないのです。

 

そして、何かをどうこうしないとは、文字通りの「何もしない」ということではなく、「全てをそのままにしておく」ということです。

全てをあるがままにしておく、ということです。

あるがままの状態において自然と何かを「する」ならば、それはそれでいいのです。

 

 

何かの出来事にとらわれるということは、「偏る」ということです。

思考にとらわれるということは、全体性から外れ、「偏る」ということです。

全体でひとつという全体性に居るということは、どこにも偏らないということです。

 

そんなポジション。

全体というひとつ。

そこに居ましょう。

そこには問題はありません。

そこが、解決です。

 

何かに巻き込まれてしまうのではなく、それを俯瞰する位置に居ましょう。

全体性に居ましましょう。

そこは特定の「何か」ではない場所、つまり何でもない場所です。

 

そこに居ることが、全ての解決です。

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