真実に生きる

現実は複雑で広大で難しく、とても把握しきれる気がしません。

そんな中で生きることは、とても複雑で難しく、大変な人生です。

 

でも「真実」は、シンプルで簡単です。

楽でスムーズです。

我々は、現実を見ながら生きるよりも、真実を見ながら生きるべきです。

現実に生きるのではなく、真実に生きるのです。

 

真実はシンプルで明快です。

スッキリと気持ちよく、何の複雑さもありません。

人生は単純になり、楽になり、楽しくなります。

ただシンプルに、真実を把握しましょう。

 

そのためには、たびたび思い出すことです。

現実の複雑さに飲まれてしまったら、その都度、真実を思い出しましょう。

真実をしっかりと、見据えましょう。

真実の中に、居続けるのです。

 

 

真実とは何でしょうか。

それは「無」です。

何でもない、ということです。

 

あなたは無を受け入れることができますか。

「何でもない」ということを、受け入れることができますか。

何にもしがみつかず、何も掴まず、ただ全てを開け放しておくことはできますか。

 

それが無に生きるということ、真実に生きるということです。

 

真実は無の中から生まれます。

無の中に居ることによって、そこから真実が湧き上がります。

それが、本来あなたが生きるべき人生です。

 

本来の人生は、努力によって作るものではなく、自然に湧き上がるものです。

そのためには、全てを放棄することです。

放棄するからこそ、あなたの意思やしがらみという「限定」から解放された、本来の無限が湧き上がります。

喜びだろうと苦しみだろうと、それにしがみついてはいけません。

 

 

全てを放棄する勇気。

それは死をも恐れない心境です。

死は「失う」ということです。

 

そういう意味で我々は、生きながらちょいちょい死を経験します。

お金を使うこと、パーティーが終わること、学校の卒業、親しい人の喪失、失恋、失業。

身近なもの、大切なものを無くすのは、一種の「死」です。

 

我々は日々、そんな小さな死を経験しながら生きています。

一般的には痛みを伴うそのような死を、無の中に放棄してしまえる態度。

それらを何でもないこととして、本来の何でもないの中に居続けること。

それは、自らの命にすらしがみつかない態度です。

(もちろんそれは、生存本能を無視するということではありません)

 

そんな死を恐れない態度は、本来の生き方です。

 

死は怖いものではありません。

一般的に死が「怖い」と思われているのは、未知のものに対する恐怖と、生への愛惜から来ています。

未知のものに対する恐怖は「未来」への不安であり、生への愛惜は「過去」の蓄積に対する執着です。

 

未来への妄想をやめ、過去への執着をやめ、「今」に生きるなら、それは本来の生き方です。

そこに死の恐怖はありません。

「今」に生きるなら、日々経験するどんなレベルの死も、怖いものではありません。

 

それは一般的な生き方とは真逆の態度ですね。

 

 

そのことによって得られるものは何でしょう?

それは「自由」です。

全てを放棄すること、全てを失っても構わないという心境は、自由です。

あなたを縛るものは、何もありません。

 

着目するなら「恐怖」のほうではなく、「自由」と「爽快」に目をやるべきです。

放棄によって失うものではなく、放棄によって得られるものに、目をやるべきです。

それは真にあなたが欲しているものですから。

 

自由に生きるということは、真実を生きるということです。

何も縛るものがない、限定するものがない、決めつけるものがないからこそ、自然と、自由に、真実が浮かび上がります。

そのときあなたは、本来のあなたになります。

 

人生において、本来の自分を生きる以上のことがありますか?

これ以上がありますでしょうか?

 

 

「本来の自分」は、追い求めるという方法ではなく、捨てる、放棄する、解放するという方法によって手に入ります。

普通に思いつく方法とは真逆です。

今まで馴染んできたやり方を、180°変えなくてはいけません。

 

そこがひとつ、チャレンジングな点です。

既知の世界から、未知の世界へと飛び込まなくてはいけません。

 

180°の転換。

それには、勇気と意志がいります。

そこまでの勇気と意志を発揮するためには、そこまでして真実に生きたいという強烈なモチベーションが必要です。

何となく生きて、何となく終わってくれればそれでいいというぬるい生き方では、とてもそのような力は発揮できません。

 

「それなりに幸せ、特に大きな問題は無い」というごく一般的な人にとっては、とても難しいことです。

そんな人はそもそも、真実に魅せられるということもないでしょう。

 

真実に魅せられたあなたには、チャンスがあるということです。

真実を掴む、チャンスがあります。

 

そのチャンスは、今すぐ、ものにできるのです。

勇気と意志を発揮する時は、「今」なのです。

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