不安の奥にある真の自由

おそらく皆さん、何かしらの不安を抱えて生きていると思います。

「この先どうなってしまうんだろう、いろいろ大丈夫だろうか」と。

我々は、何もかもが未確定で不安定な世界に生きています。

不安は、普通に生きていれば当然のように感じます。

 

それは、どうにも拭い去ることができません。

我々にできることはせいぜい、気を紛らわしたり、あまり見ないようにすることくらいです。

 

その不安を、一度直視してみましょう。

一体この不安とは何物なのか。

我々は本当に、この不安の中で一生、生きていかなくてはならないのか。

一度精査してみましょう。

 

 

なぜ不安が起こるのか。

それは守るべきものがあるからですね。

何か守るべきものがあり、それが失われたり、損なわれたりすることへの恐怖。

それが不安です。

 

では、その「守るべきもの」とは何でしょうか。

自分の命であったり、大切な人の命。

それから自尊心、家族の安全、生活の保証や安定した収入、楽しいことや自由な時間。

まあ、いろいろありますね。

 

ひっくるめて言えば、安全に、快適に、生きていたい、ということですね。

裏返して言うと、「死への恐怖」とも言えます。

失うことへの恐怖ですね。

生物としての、ごく真っ当な衝動です。

生物として生きているなら、当然感じることです。

 

しかし人間にはなぜか、それ以上の衝動があります。

それは、「その不安すら克服したい」という衝動です。

 

生物として生きているなら当然感じるべき衝動すら超えたいという衝動です。

生物を超えたい、ということです。

生物を超えて、それ以上の存在になろうというその衝動は、宇宙の進化のひとつの現われでしょう。

 

 

その不安を超える方法はただひとつです。

 

それは守るべきものを捨てる、ということです。

命を捨てる、ということです。

生きながらにして死ぬ、ということです。

生物であることをやめる、動物であることをやめる、ということです。

 

それはもちろん、実際に捨てることではなく、実際にやめることでもありません。

現実には衣食住は必要ですし、危険からは身を守らなくてはいけませんし、収入も得なくてはいけません。

これは目に見える領域の話ではなく、目に見えない領域の話です。

 

何も持たない、ということは、何も失うものが無い、ということです。

つまり、不安はありません。

失う恐怖はありません。

 

 

実際のところそれは、「捨てる」のではなく、「初めから持っていないことを確認する」ということです。

そもそも我々は、何も持っていません。

 

あなたが持っていると思っているもの。

本当にあなたはそれを持っていますか?

あなたが持っていると思っているものは全て、「持っているという思い込み」ではないでしょうか。

 

身体も、財産も、家族も、地位も、全てです。

正直によく精査してみてください。

あなたが真に所有しているものなど、何ひとつありません。

所有しているという「感覚」を持っているだけです。

 

 

事実、あなたは何も持っていません。

 

何も持っていないのですから、もちろん、不安もありません。

では、そこにあるものは何でしょうか。

 

「自由」です。

何も無い。

守るものも、縛るものも、何も無い。

それは無限の自由です。

底抜けの自由です。

 

その自由で生きてみましょう。

それは真のあなた、本当のあなたです。

所有という幻想、守るべきものという幻想が剥がれ落ちたときに現れる、真のあなたです。

あなたが本当に求めているものは、それです。

 

所有は全て幻想。

縛るものも、守るべきものも、全て幻想。

正直に精査すれば、それが見えます。

不安は目を背けたり、ごまかしたり、紛らわせたりするのではなく、直視し、精査してみましょう。

幻想はあなたの正直な直視に耐えられません。

正直な直視によって、幻想の奥にある正体を、実際に見てみてください。

 

ただ無。

ただ自由。

それがあなたの正体です。

そこに不安というものは、そもそもありません。

コメント

  1. さき より:

    こんばんは。
    ブログを見つけてから、いちから読み始めました。まだ読んでる途中ですが、たくさん泣きました。ありがとうございます。(なんか変ですね?笑)

    これだけ読んでいても腑に落ちていない私がいます。
    仕事、お金、恋愛、人間関係において不安不満ばかりです。
    私が「何もしない」に縛られてしまってる気がしているんですが⋯
    「何もしない」は「仕事しない」とは違いますよね?「不安」に対して「何もしない」ですか?
    行動としては転職活動や副業をしようとしない。「起こる」のは私が行動して起こるのではなく(これは努力になる)、勝手に「起こる」(意図せず、紹介やら色んな形で)という感じでしょうか?例え行動したとしても、ただそれが起こっている。「あ、不安から行動してる(転職サイトみてる)自分がいるな〜」に気づいて、そのまま行動してもいいし「やっぱやーめた、何もしない」にしてもいい、といった感じでしょうか?

    ブログを読むと理解できたかのようになるんですが、言葉で表現しようとするとすごく難しいですね。
    言葉で伝えているのが素晴らしいです。
    いつもありがとうございます(*^^*)

    • こーへ より:

      コメントありがとうございます。
      そうですね、基本的に私たちって難しく考えすぎてるところがありますね。動物や植物はそんなに難しく考えてないけどちゃんとうまく生きてるってことでしょうか。
      考えようが考えまいが事は起こるし、物事は推移します。
      考えること、何かをしようとすることが苦しみを生むなら、やめてしまってよいのでは?ということですね。だってそんなの関係なしに事は起こるし、物事は推移するから。とはいえそんなに簡単にやめれないから難しいわけですが(笑)

      コメントを拝見して感じたことは、何か理屈でねじ伏せようとしている感じがします。何かそこの一点に集中して、無理っぽいことを無理にでも解決せずにはおれない、みたいな無理っぽさです。
      おそらくあなたが欲しているのはその対極にある気楽さ、穏やかさ、平穏、安心、みたいなことだと思うのですが、それらを手にしようとして実際は逆の行動に走っている、ということに気がついたならば、何かまた別な選択肢を選択できるのではないかなと思います。

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