世界の実質は無であるという話は、これまで何度もしています。
というか、その話しかしてないくらいです。(笑)
そして、我々の衝動も、突き詰めれば結局、無へと至りました。
ここにおいて、世界の実質と、我々の衝動は一致します。
世界がもともとそうであるところに、我々も向かいたいと思っているのです。
しかし、有の有としての衝動も、まだ残っています。
つまり、拡大・成長を志向する力です。
有の上にさらに有を重ねる、慣性の勢いです。
我々には、拡大・成長への志向と、無への志向の、両方があるのです。
…
有は有として、より大きく、より強く、より良くなりたいという衝動を持っています。
基本的に現代の人は、その衝動と共に生きています。
経済は拡大成長すべき、企業は拡大成長すべき、個人は拡大成長すべき。
もっとキレイな彼女、もっと素敵な彼氏、より高い地位、より沢山の収入、より素敵な経験。
有としてのそういう衝動を抱えたまま、それが最終的に向かう先の「死」に対する恐怖も抱えたまま、行き着くところまで、行こうとしています。
向かう先は「死」です。
それらがやがて、崩壊する場所です。
拡大成長は、そういう空しさを孕んでいます。
食べられるために太るブタ。
落ちるために上る階段。
それをやめたいと思った人が、無を志向します。
「もうええわ」って。
…
「何が良い」とかは無いのです、もはや。
良いも悪いもないのです。
ただのサイクルです、それは。
生まれて、死んで、また生まれる。
生まれて、死んで、また生まれる。
夢も希望も飲み込み、ただ寄せては返す波のように、繰り返すサイクル。
それに乗っかろう。
いやもう乗っかってるね。
やらなきゃいけないこと?
もうどっちでもいいね。
到達すべき場所?
どっちでもいいね。
ただストップします。
奮闘も、情熱も、悔恨も、
良いも悪いも、好きも嫌いも、
ただストップします。
「ストップ」
そこ。
どこ?
そこは、どこ?
わからなくていいです。
わからないままで、いてください。
ただ、いてください。
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