自分自身がどうであるか。
それが全てですね。
自分自身が素晴らしい状態であること。
それこそが、我々が望んでいることでしょう。
ではその「どう」は、何によってもたらされるのか。
普通は外の状況によってもたらされると思われています。
「あの人がこんなことを言ったから、自分は悲しい」
「無事に就職が決まって嬉しい」
外の状況によって、自分の「どう」を決められています。
ですから、外の状況を何とかしようとするコントロール欲も生まれます。
しかし、本当に自分の「どう」を決めるのは、外の状況だけでしょうか。
そうではありません。
これには、外の影響だけでなく、自分の中から湧き上がってくるものもあります。
あなたにも経験があるのではないでしょうか。
意味もなく突然ふと、いい気分が湧き上がってきたりすることが。
「どう」を決定づける要素には、外から与えられるものだけではなく、内から湧き上がってくるものもあります。
内から湧き上がってくるものによって、いつでもいい気分でいれるなら、それこそが最強ですね。
コントロールの効かない外の要素に任せるのではなく、自分自身で自分自身の面倒をみれるなら、それこそが最強です。
…
内から湧き上がってくるもの。
でも、それこそがコントロール不可能だと、そう思われることでしょう。
それは実に勝手に湧き上がってくるもので、こっちでどうこうできるものではないと。
いえ。
どうこうはしません。
出てこないものを、無理に引っ張り出すことは、しません。
ただ、何が出てくるのかを見守るだけです。
何がでてくるのかは、知りません。
ただ、静かにして出てくる状況を整え、見守るだけです。
大事なのは、それが「自然と湧き上がってくる」ということです。
それが「何」であるかは、気にする必要はありません。
…
我々は普段、あまりにも外の状況に気を取られていて、自分の内を気にすることがありません。
外の状況は刺激に満ちていて気を取られやすく、逆に内の状況は静かすぎて、あまり気に留められません。
ですから、注意を外から内に変えるのは、ある程度意志の力がいります。
意識的に、向け変える必要があります。
あなたがいるのは「内」です。
「外」にはあなたはいません。
あなたがいるのは、内でしかないはずです。
それなのに今まで、外にばかり注意を向け、内を閑却していたのは、実に不思議なことです。
外に生きるのではなく、内に生きることが、本当に自分を生きるということです。
…
内に注意を向けると、自分が見えます。
どんな自分ですか? それは。
どんな自分であっても構わないですね。
どんな自分でもOKですね。
どんな自分であるかよりも、それが「本当の自分」であるということが、大切ですね。
それはあなたが今まで知らなかった自分かも知れませんし、見過ごしていた自分かもしれません。
帰りましょう、そこに。
そこが本当の自分のお家です。
注意を外から内に向け変えて、そこに本当の自分を発見しましょう。
いつも、いつでも、そこに帰りましょう。
そして自分のお家で、くつろぎましょう。
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