結局一番面白いこと

私たちは、容易に自分自身を見失います。

何が好きだったか、何をしたかったか、どうありたかったか。

外の情報に触れる時間が多いからです。

私たちは容易に、自分が何者であったかを忘れます。

自分が何者であったかを忘れるとはどういうことかすらわからないくらいに、忘れます。

このことは、私たちが幸せを感じる感覚と、密接に結びついています。

 

私たちは普段、幸せを感じていますか?

感じていません。

なぜですか?

わかりません。

というか、普段そんなこと考えません。

なんだかよくわからないままに、なんだかよくわからない日常なるものを、生きています。

 

何が好きだったか、何をしたかったか、どうありたかったか。

そんなこと普段、考えません。

 

結局何がわからないのか。

それは自分自身です。

自分で自分がわからないのです。

 

自分を知る、ということが、幸せと密接に結びついています。

自分が自分であること。

これがすなわち、幸せだからです。

自分が自分に収まっているかどうかがわからなければ、幸せを感じることはできません。

 

問うてみましょう。

何が好きなのか。どうしたいのか。

意外とすんなりと出ないはずです。

あるいは出たそれは、まだそれほどしっくりいかないものでしょう。

それはまだ原石の状態であり、そこからブラッシュアップしていく必要があります。

それはまだ、世間の常識や人の目に汚されていて、本当のピュアな輝きを発揮していないはずです。

 

何が好きなのか。どうしたいのか。

この単純な質問には、実に奥深いものがあります。

1+1=2みたいに、すんなりと出ないものです。

それは磨きをかけながら、徐々に答えを形成していくような過程を踏みます。

常に磨き続けなければいけません。

よそ見している場合ではありません。

外の情報に、うっかり釣られている場合でもありません。

しっかりと自分を見据え、微細な感覚を逃さないようにキャッチしなくてはいけません。

そして徐々に、確固たるものに仕上げていきます。

そして最後に、「私はこれが好き」「私はこうしたい」と、何の躊躇もなく言えるようになっています。

 

私は私でありたい。

それは私である人が全員望む、切なる願いです。

その切なる願いに、真摯に向き合うことによって、その切なる願いは、成就されます。

よそ見をしていたら、何も変わりません。

 

これはぜひともそうすべき、というものでもありません。

どうしたらいいかわからないという人に、「そうしてみたらいかがでしょうか」というものです。

最近なんか面白くないなという人に、「ひまつぶしにどうですか?」というようなものです。

 

自分が自分であることが、結局一番面白いことです。

そのことをみなさんに、提案したいと思います。

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