本当に私たちは、生まれた時は素っ裸で何も持たずに生まれてきました。
そして、生きていく中で、複雑な人間関係を獲得し、社会的地位を獲得し、夢や、希望や、あれやこれやを獲得しながら、今日まで生きてきました。
しかしです。
本来私たちは、何も持たずに生まれてきたのです。
そして、何も持たずに死んでいきます。
何もないと何もないの間の、一時的なあれやこれやは、本来は、ありません。
一時的に「現れて見える」だけで、本来はありません。
私たちは本来、何も持っていないし、何も所有していないのです。
そのことを改めて思い出してみるのは、非常に有意義なことです。
なぜなら、本来は存在しないあれやこれやによって、私たちの人生が阻害されていると感じる場面が、多々あるからです。
私たちは、あれやこれやによって、喜びや幸福を感じますが、同時にあれやこれやによって、悲しみや不幸も味わいます。
「あれやこれやに振り回されながら生きている」ということですね。
しかし本来、私たちはあれやこれやに振り回されるのではなく、あれやこれやを振り回す側にいるはずです。
なぜなら、「ない」がベースなわけですから、それらはあってもいいし、なくてもいいし、どっちでもいいし、何でもいいわけです、本来。
しかし、「それでなきゃいけない」「そうであるべき」と、本来無いもの、消えるものに軸足を置いてしまうと、ブンブンそれらに振り回されることになります。
本来ないのです、それらは。
どっちでもいいし、何でもいいはずです、本来。
そのことを改めて思い出してみましょう。
無いから無いの間を、無いによって生きる。
それが本来の姿であり、それによって本来の自由を取り戻せます。
元々が自由です。
何でもいいし、どっちでもいいからこそ、真に自由に人生をクリエイトできます。
「自由である」ということは、最も創造的な状態です。
簡単に手放してしまえる自由を取り戻したとき、真のクリエイティビティが発揮され、そこから生み出される豊かな人生を経験することができるでしょう。
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