「全ては完璧」とはどういうことか

「起こっていることは全て完璧」などと言われます。

しかし、そう言われてもピンとこないものです。

「いや、もっと素晴らしいことが起こる可能性があったはず」

そう思うのが人情です。

 

しかし、誰にでもわかるごくシンプルなこと。

それは、起こっていることはただ「1つ」ということです。

いろんな可能性はあったかもしれませんが、実際に起こっていることは、必ず「1つ」です。

 

上を向くことと下を向くことは、同時には起こりません。

上を向く時には「上を向く」という1つの出来事だけが起こり、下を向く時には「下を向く」という1つの出来事だけが起こります。

株価は、10,000円と15,000円を同時に付けることはありません。

10,000円の時は10,000円であって、それ以外の値段ではありません。

 

ああする選択肢、こうする選択肢、いろいろあるのかもしれませんが、現実に起こる出来事はただ1つだけです。

起こるときには「それ」1つだけが起こります。

その他が同時に起こることはありません。

いろんな可能性はあるのかもしれませんが、現実に起こるのは、現に起こった「それ」だけです。

 

それは他に比較するものがないので、相対ではなく「絶対」です。

「ただそれだけがある」ということです。

それだけがあって他は無い、ということです。

 

その様をすなわち、「完璧」と言っています。

 

 

出来事はいつでも、ただ1つです。

「ああだったらいいのに、こうだったらいいのに」という妄想なら、いくらでもあります。

その妄想も、今、そうでしかない出来事の1つとして、起こっています。

現実の出来事は、いつでもただ1つです。

この絶対性に着目してみてください。

 

いつでも、ただ1つ、起こっていることだけが起こっています。

他のどの可能性でもなく、今起こっていることだけが起こっています。

この絶対的な単一性。

何人もそこから逃れられません。

 

現実は同時に平行していろいろ起こっている(パラレルワールド)などとも言われますが、それも1つの観念であり、その観念が今、この瞬間に起こっています。

今この瞬間、ただ「それ」だけが起こっています。

 

この絶対性は、誰も覆すことができません。

この様子は、完璧としか言いようがないのです。

なぜなら他に比較するものが無いから。

「それ」しかないのですから。

 

 

他と比較してどっちが優れているかという相対の世界では、「完璧」はありません。

「比較」の中では完璧はありえません。

そこにあるのは、どっちが優れている、どっちが劣っているという「程度」です。

程度によって完璧は達成できません。

完璧は「それ」でしかありえないものです。

あれだったりこれだったりする程度の高低は、完璧とは交わらない話なのです。

 

相対は必ず座標上のどこかに位置づけられます。

あなたはここ、きみはそこ、と。

そんな座標上に、「完璧」なる点は存在しません。

座標上のそこが完璧だと、どうして言えるのでしょうか。

 

座標上の1点を完璧だという場合、それは1つの意見でしかありません。

意見の数だけ完璧が存在します。

それはすなわち、完璧ではないということです。

 

完璧とは、絶対ということです。

絶対には位置はありません。

「あっち」や「こっち」が無いのです。

「それ」しかありません。

だから完璧なのです。

 

完璧とは、「それしかない」という絶対だからこそ、言えるのです。

「それしかない」という絶対だから、何の瑕疵もありえないのです。

そして、何の瑕疵もないから、完璧なのです。

 

 

「いや、あっちのほうがよかった」「いやいや、こっちのほうがよかった」などという思考は、「今」起こっています。

その思考は、「今それでしかないもの」として、今、起こっています。

どう考えてもこの絶対性からは逃れられません。

だからこその「絶対性」です。

 

嘆いたりうらやんだり悲しんだりはいくらでもできますが、だからといってその絶対性から逃れられるわけではありません。

ただその嘆き、うらやみ、悲しみが、その絶対性の中で「今」起こっているだけです。

 

この事実を見たとき、どうでしょう?

ただ起こることが起こる。

「完璧」として。

この事実、どうですか?

 

もうやることは無いですよね。

事実を見たら、やることなんて何ひとつ無いですよね。

 

我々も含めて世界はすべて、「そうでしかないもの」という絶対性の現れです。

あなたはそうでしかないし、世界もそうでしかありません。

ただその事実を、確認してみてください。

 

我々は日々、相対性の中で「より良く」なることに励んでいますが、それは座標上をただ右に左に移動しているだけなのです。

その活動は、座標軸上の「あの点が素晴らしい」という妄想に基づいていますが、絶対の観点から見ると、どの点も一緒です。

お金持ちだろうと貧乏だろうと、男だろうと女だろうと、優秀だろうと愚劣だろうと、絶対の観点から見ると、すべてフラットです。

 

全てが「それでしかなさ」を体現しています。

それでしかなさを体現していないものなど、何ひとつありません。

今すでに、絶対の世界を、我々は生きているのです。

 

そんな絶対性の中では、頑張る必要も、嘆いたり悲しんだりする必要もありません。

だってそれでしかないのですから。

あなたはそれでしかありえないものとして、ただ在るだけです。

それは頑張ることでも到達することでも、何かを作り上げることでもありません。

 

世界はすでにそうなのです。

ただそれを見てみてください。

世界は勝手に完璧じゃないですか?

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