探求とは何か

スピリチュアルな探求は、「探求をやめたときに、求めていたものが見つかる」と言われます。

それはある意味真理です。

でもこの言い方だと、逆に難しく感じられる場合もあるでしょう。

「探すからこそ見つかるんじゃないのか」って。

 

素晴らしい世界の可能性を知ったなら、それを探さずにはいられません。

大いに探せばいいと思います。

探して探して探しまくったらいいと思います。

探求をやめたときに探していたものが見つかるのなら、どうやって探求をやめるかを大いに探求したらいいと思います。

せずにはおれないのなら、素直にその衝動に従ったらいいと思います。

 

 

問題はその「場所」です。

どこを探すかという「場所」です。

無いところを探しても、それは見つかりません。

ですから探求をするなら、「どこにそれがあるか」を最初に知らなくてはいけません。

 

では一体どこにそれがあるのでしょうか。

それは「事実」の中です。

 

おそらく皆さんが探しているのは、スピリチュアルなティーチャーの中にでしょう。

有名無名、様々な人が、スピリチュアルなメッセージを発信しています。

そのメッセージの中に、あなたは探しているものを見つけようとします。

でも、そこにはありません。

 

そのメッセージは、旅行ガイドのようなものです。

現地をどのように巡るかのガイドです。

ガイドの中に旅行はありません。

旅行は現地にあります。

 

すなわち、

あなたが求めているものは、「現地」にあります。

 

ガイドの中ではありません。

実際にそこに行かなくてはならないのです。

 

でも多くの人が実際にやっているのは、どこにも行かずに部屋の中で旅行ガイドを調べることです。

探す場所が違うのです。

ガイドを読んで現地の巡り方がわかったなら、さっさと現地に行きましょう!

いつまでも旅行ガイドを眺めていても、そこにあなたの求めるものはありません。

 

 

現地とはすなわち「事実」です。

あなたが求めているものは、事実の中にあります。

 

事実ってなにか?

「いま現にそうである様」です。

よくスピリチュアルなティーチャーは「探しているものは、いつでもここにあった」などと言います。

その「ここ」が、いま現にそうである事実です。

そこをとことん探求してみようではありませんか。

 

それがわかることをよく「一瞥体験」などと言います。

でも、一瞥じゃなくていいですよね。

ずっとそれを見据えていればいいではありませんか。

止むにやまれぬ探究心があるなら、常に事実を見据えていればいいのです。

 

いま現にそうであること(=いまここ)に真理があると、どのティーチャーも言っています。

では素直にそこを探求してみましょう。

とことん、本当のことを探ってみましょう。

 

一瞥も覚醒もいりません。

事実をあなたの目で確かめたらいいのです。

「本当にそれはそうなのか?」と。

人の言うことを鵜呑みにするのではなく、何か体験を期待するのでもなく、ただ単に、あなた自身で、事実を調べればいいのです。

 

真理を見つけるのは、あなたがあなた自身で見つけるのです。

誰かに与えてもらうものではありません。

人に期待するのではなく、自分に期待しましょう。

 

事実をただ素直に、虚心坦懐に見て、本当のことを言いましょう。

心の底から本当のことを言ってみてください。

心の底からの本当のこと、それがすなわち真実です。

 

あなたの中に眠っている真実を引き出してください。

あなたの中の「本当のことを言う力」を引き出してください。

本当の本当の本当のことを、とことん探ってください。

探求のエネルギーは、それに使いましょう。

 

「探求をやめたときに、求めていたものが見つかる」というのは、「探求=違う場所を探すこと」という前提で話されています。

「あなたが探しているのは違う場所ですから、それをやめてください。そうすれば真理が立ち現れますよ、なぜなら真理はもともとそうであるものだからです」

と、いうことです。

 

しかし、探そうとする衝動が起こってしまうなら、それはしょうがありません。

起こってしまうものはしょうがありません。

やめようと思ってやめられるものでもありません。

 

ならばその衝動を生かしましょう。

正しい場所を探せばいいのです。

その正しい場所が「事実(いまここ)」です。

 

旅行ガイドといつまでもにらめっこしていても、旅は始まりません。

さあ今スグ、現地へ出かけようではありませんか!

 

 

その探究心を遺憾なく発揮して、事実をとことん調べてみてください。

そして本当のことを言ってください。

一瞥でも二瞥でもなく、ずっと見続けていてください。

ついにあなたの探究心は、事実の中に真理を見抜くことでしょう。

 

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