恐れを祝福する

自分がどんどん自分らしくなってくると、どんどん個性的になってくる、特徴的になってくる。

だから当然ながら、回りとは合わなくもなる。

今まで回りに合わせていたのをやめるわけだから、それは当然、回りと合わなくなる。

それは避けては通れないこと。

 

回りとぶつかることを恐れていては、真に自分自身であることはできない。

自分を抑えて回りと同調するか、回りとの軋轢を気にせずに自分自身でいるか。

選択を迫られている。

 

 

世界は自分で作っている。

回りとぶつかったり反感を買ったりするのは、世界が動いている証拠。

世界があなたの世界となるべく、ガタガタと音をだして動き出している証拠。

何もない、止まっている世界なら、なにも起こらない。

今までと同じで、何も変わらなければ、何も変化はない。

ぶつかったり軋轢が出るのは、地殻変動と同じで、世界があなたの世界に向けて再編しつつある動き。

それに反応するのではなく、ただ眺めていればよい。

 

「ああヒビが入った!」って慌ててボンドで修復しなくてもよい。

再編の動きを止めるつもり?

なるようにさせておきましょう。それがベストだからそうなっています。

あなたがちゃんと100%自分自身にいて、その結果そうなっているなら、その動きを信頼してください。

それが自分を信頼するということ。

それがすなわち、あなたが選択したこと。

 

そのときに怖さを感じるだろう。

世界はどうなっちゃうのだろうかと。

私の世界が壊れてしまうんじゃないかと、恐怖を感じるだろう。

 

だまって見ていてください。その恐怖を。その世界がガラガラと崩れ落ちる様を。

再生するためには壊れますよ、古い世界は。

伊勢神宮だって、20年に1回、壊してまた新しく建てるでしょう。

 

 

恐怖はよく見ると、面白いものです。

目を背けるから、よくわからない。

よくわからないから、思い込みが変更されない。

「恐怖は怖い」という思い込みが変更されない。

 

よく見ると面白いですよ。

それはそれで、なかなかのエンターテインメント。

「スリル」に近いものがあります。

わざわざお金を払って、ジェットコースターにのったり、お化け屋敷に入ったりしますね。

あれと一緒です。

スリルはエンターテインメントです。

 

恐怖が出てくる。

それは世界があなたに、豊かさを提供しているということです。

「自分」とは、裏も表も含めた「トータル」であるということ。

楽しいだけが自分じゃないよと。

真に自分自身であるためには、恐怖も必要。

喜びも恐怖も両方味わってこそ、真の自分。

そのために、恐怖は出てきます。

真に自分自身であるために、そういうことになっています。

そこを避けていては、真に自分自身にはなれません。

恐怖にはしっかりと向き合い、その妙味を味わい尽くしましょう。

そこを通過してこそ、真の自分自身になれます。

 

恐怖が出てきたということは、喜ぶべきこと。

地殻変動が起こっているということ、世界の再編が起こっているということ。

自分自身であることを選択したあなたが、真に自分自身になるためのチャンスを与えられたということ。

目を背けずに、真正面から見据えてください。

それがあなたの選択したことです。

今、この瞬間、あなたはあなたの選択を、選択しているのです。

 

さあ、その選択を、貫いてください。

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