気にすべきは外側の状況ではなく、自分の内面

外側のことは、ひとまず置いといてください。

あなたには欲しいものや、やらなければいけないことが沢山あるでしょうが、それらはひとまず置いといてください。

 

まずはあなたの内面に向き合うことが先決です。

内面が整わないうちに外側をどうこうしても意味はありません。

それだと根本的には何も変わりません。

 

あなたの内側を正常に整えること。

そうすれば外側は自動的に整います。

まずは「内」が先です。

 

全く同じ外の出来事でも、それを受け取る内面が違っていれば、それは全く違った出来事になります。

つまり、外の出来事は全然関係ないのです。

全てを決するのは、「内」です。

 

そして、内の有様をどうこうすることができるのは、「自分」だけです。

あなたを変えることが出来るのは、あなただけです。

あなたが「変わりたい」と思ったら、外の状況を変えるのではなく、あなた自身を変えることです。

 

さあ、自分の内に向き合う準備はできましたか?

あなたはいつも、外のことを気にするのではなく、自分の内を気にしましょう。

 

 

あなたの内の反映が、外です。

あなたが外に見ているその世界。

それはイコールあなた自身です。

あなた自身が投影された世界です。

 

その世界を変更したい場合、投影されたスクリーンをどうこうするのではなく、映写機の方をどうこうしましょう、という話です。

それが、外ではなく内、ということです。

 

では、どうやって映写機をいじるか。

そもそも映写機をいじるとは、どういうことか。

 

あなたは、「スクリーンに映る現実が気に入らないなら、それを映し出している映写機のフィルムをチェンジすればよい」という話を聞いたことはありませんか?

それは全くその通りですね。

 

写っているものを変えたければ、スクリーンに直接マジックで内容を書き換えるのではなく、映写機のフィルムを変えるのが、正しいやり方です。

つまり、内を変えることによって、外を変えるということです。

そのためにまず、今現在の外の状況を映し出している、今現在のあなたの内の状況をチェックしてみましょう。

 

今、あなたが置かれているその状況がありますね。

その状況を生むに至ったあなたの内面は、どんなでしょう?

 

今あなたが置かれているその状況を気に入ってないということは、あなたは「自分自身」を気に入ってないということです。

どうでしょう、全くその通りではないですか?

内と外は見事に対応しています。

あなたは、自分自身が好きではないから、外の状況も好きではないのです。

 

つまり、外の状況を本当に良きものにしたいなら、「あなた自身」を良きものにすることです。

あなたが素晴らしく、輝かしいあなたであれば、それに対応して外側も、素晴らしく輝かしいものになります。

 

あなたは自分自身を尊重し、敬愛し、見事に育ててください。

あなたが手をかけるべきは、外側ではなく、あなた自身です。

 

スクリーンに直接書き込みするのではなく、あなた自身という映写機を素晴らしいものにするのです。

素晴らしい映写機が放つ素晴らしい映像が、自動的にスクリーンに映し出されます。

あなた自身が心底気持ちよく、心地いい存在になれば、心底気持ちよく、心地いい外側の状況が現われるでしょう。

 

あなたが注意を向けるべきはいつでも、外側ではなく、内側です。

コメント

  1. より:

    初めまして。

    長年、探究し人生を変えようとしてきましたが、全然変わらず、問題あふれる現実に混乱しまくりの日々でした。

    内面を変えれば外が変わる…そんな真実さえも、内面を変えよう変えよう…外が変わらないのはやり方が違うのか、さらなる方法は何だろう。さらに混乱してました(笑)

    ふと、今幸せになると検索したらこのblogにたどり着きました。記事は違うものですが、そこからいくつか見たのですが、惹かれる雰囲気があり、ファンになりました。

    沢山の記事を見ようがさらなる探究や混乱にならないように気をつけないといけませんが…。

    素敵な記事をありがとうございました。

    • こーへ より:

      コメントありがとうございます。
      そうですよね、それが「普通」ですよね。
      変えたい、変わりたい。何をどう変えればいいんだ、あれか、これか、と、わたわたする。
      そのわたわたがすなわち、混乱であり、それをやめればすなわち混乱は無いわけですが、わかっちゃいるけどやめられないというやつですね。

      いつ私の探求は終わるのだろうかと思いながら探求を続けるわけですが、探求をやめた時が探求が終わる時です。
      そして探求をはじめればまた始まります。

      物事は全て、「そのまんま」です。

      どうあがいても「そのまんま」なのですが、その「そのまんま」が嫌だと否定しているのが、普通の状態ですね。
      そのまんまをそのまんまだと認めるしかないのですね。
      いつそれをやるのかと、結局問われているのは、その一点のみですね。

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