「幸せになるためにはどうすればいいのだろうか」
みなさんが考えることです。
そして、いろいろやってみますが、なかなか幸せを実感できません。
しかし、幸せとは実は、まったく難しいことではないのです。
むしろ簡単すぎるから、難しいのです。
幸せとは手に入れるものではなく、もともとの「状態」のことです。
ここがまず、勘違いです。
幸せとは、どこかから手に入れるものではありません。
もともと「そう」なのです。
まずは、手に入れようとする行為をやめなくてはいけません。
それは手に入れるものではないから。
といっても、そこがまずは難しいところでしょう。
「欲しい」と思ってしまうこと、それから「手に入れよう」と行動してしまうこと。
これは我々にとって、ほとんど条件反射です。
ほとんど無意識のうちに、そうなってしまいます。
だから、それをやめるのは禁煙や禁酒のような努力が必要かもしれません。
しかし、「注意の向く先を変える」ということなら、比較的簡単にできるのではないでしょうか。
「欲しい欲しい」に注意を向けるのではなく、「自分自身」に注意を向けるのです。
幸せとは「もともとの自分」ですから、そこに注意を向けてみるのです。
自分って一体何なのかと。
これって結構今までやってこなかったことだと思います。
自分の「容姿」や自分の「能力」については、いつも注意を払ってきたかもしれませんが、「自分そのもの」にはほとんど注意を向けたことがないと思います。
「なにそれ?自分そのものって何?」ってところから入ると思います。
名前でもない、肩書きでもない、今いる環境でもない、自分の考えでもない。
自分そのもの。
そんなこと考えたことありますか?
「なにそれ?名前も環境も容姿も能力も取っ払ったら、何も残らないじゃない」となるでしょう。
何も残らないそこに残るものは何でしょう?
直接ごらんになってみてください、自分自身の目で。
とにかく自分に注意を向け、本当の自分とは何なのかを知ることが全てです。
それだけです。
「注意を向け変える」
それだけです。
今までアレも欲しいコレも欲しいと、外に向いていた注意を内に向ける。
それが真に幸せになるためにやるべきことの全てです。
とても簡単でしょう?
あなたは簡単に幸せになれるのです。
本当の自分に気づきさえすれば。
あなたはすでに幸せであったと、腑に落ちます。
すでに自分は全てであったと気づきます。
それを「デッチ上げ」ちゃダメですよ。
「きっとこういうもんだろう」と勝手な想像をしちゃダメですよ。
見えないなら見えないでいいんです。
それはただ単に、見る場所が間違っているだけです。
「自分そのもの」ではなく、自分の「思考」を見ていたり、「想像」を見ていたり。
正しい場所を見れば、必ず見えます。
見間違うなどということはあり得ません。
誰であっても、正しい場所を見れば、必ず見えます。
見える人と見えない人がいるということはあり得ません。
全員が必ず見えます。
それは、箸を見て箸とわかるのと同じであり、パソコンを見てパソコンとわかるのと同じです。
見えないという人は、見る場所を間違っているのです。
例外なく全員、正しく見れば必ず見えます。
そして、見えないことは実は大した問題ではないのです。
だって全員それを持っているから。
全員の存在の本質は、それだから。
逆にそれから逃れられる人なんて一人もいないから。
知っていようといまいと、あなたは本質的にそれなのです。
それを「知らない」からこそ、不安になったりもするわけですが。
全然安心してていいんですが、「そんなこと言われても、わからないと不安です…」ってなるから、「じゃあ実際に見てみてください、あなたの本質が何かを、自分の目で確かめてください」となるわけですが。
最終的に本当の幸せが欲しかったら、自分自身に向かわざるを得ません。
外にどんな物質や地位や人間関係を求めても、結局真には満たされないわけですから。
でも結局、幸せになれないことは、別に大した問題でもないのです。
「ただそれだけの話」ですから。
結局、なるようにしかならない、なったらなった、ならなかったなら、ならなかったという話です。
まあどっちでもいい話ですよね。(笑)
このどっちでも良さ、何でも良さが、まあ幸せというやつでしょうか。
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