「選べる」ということ

同じことをやるにしても、「自分でそれを選んでやっている」という感覚と、「やらされてやっている」という感覚では、ずいぶん違います。

全く同じことをやるにしても、です。

 

全ては選べるのです。

全ては自ら選んでいます、実は。

やらされていると思っていることでも、実は自ら選んでそれをやっているのです。

 

たとえば会社に行きたくないけど行っている、という場合、会社に行かないという選択はできます、実は。

単に行かなければいいだけの話です。

それだと後から怒られるとか困ったことになるとかあるかも知れませんが、単純に選択としては可能です。

 

「会社に行く」という選択は、自ら選んでそれをやっているのです。

行くという選択しかない、と思い込んでいるかもしれませんが、行かないという選択肢もちゃんとあります。

 

また、たとえば夫婦において、こんな相手とは今すぐ別れたいと思っていながら、それでも一緒にいるという場合、それも自ら選んでいます。

子供のためとか生活のためとか、いろいろ理由があるかもしれませんが、別に普通に出ていくことはシンプルに可能です。

 

何をやるにしても、全ての選択は自ら選んでいます。

それもこれも全部。

 

学校は義務教育だから絶対行かなきゃ、なんていうのも、行かないという選択は普通にできるし、実際行ってない子も沢山います。

 

例外はありません。

全部自分で選んでやっています。

やらされているのではなく、「やらされているという感覚」を採用しているのです。

だから逆の、「自ら選んでやっているという感覚」を採用してもいいのです。

 

 

この「感覚」の違いこそが、実はものすごく大きな違いです。

 

 

生命力を吸い取られながらイヤイヤやるのと、生命力にあふれてイキイキとやるの、どっちがいいですか、という話です。

 

結局、「何をするか」ではなく「どういう感覚でするか」です。

感覚が全てです。

 

会社でイヤな仕事をイヤイヤやっている時の感覚と、自分の好きな趣味に思う存分没頭してる時の感覚って、全く違いますね。

当然みなさんは、好きなことに夢中になっている時の感覚のほうが好きだと思います。

だとしたら、そんな感覚で生活の全てを満たすことができたら、最高だと思いませんか?

 

それは可能です。

「感覚」を変えることによって。

 

感覚を変えるとはつまり、自分の意思ではない第三者の圧力によってやらされている、という感覚を、自ら主体的に選んでやっている感覚に変える、ということです。

 

たとえば「言いたいことが言えなかった」という場合、それは「言えなかった」のではなく、「言わなかった」のです。

周囲の圧力に負けて言えなかったのではなく、自らの意思で言わないことを選択したのです。

 

このパワーの違いがわかりますか?

前者は意気地無しの弱々しい印象ですが、後者はパワフルな強い印象です。

全く同じ行動でありながら、感覚が違うとこうも違います。

 

普通の感覚では、言いたいことが言えないことは、弱虫な印象かもしれません。

そしてあなた自身もその感覚を採用してるかもしれません。

だから言いたいことが言えなかったとき、「ああ自分はなんて弱虫なんだ」と落ち込むかもしれません。

でもそれは、感覚の選択の問題です。

 

言うこともできた、そして言わないこともできた。

その中で自分は言わないことを選択をした。

そういうふうに取ることもできます。

というか、そっちのほうが事実です。

そして、そっちのほうがパワフルです。

つまり、もともとはパワフルなわけです。

 

それなのになぜ、自らを弱めるような感覚を採用する必要があるでしょうか。

事実はどんな場面であっても自ら選んでいるというのに。

 

イキイキと主体的に自分の人生を生きたい、と誰しも思います。

それは具体的に実現可能です。

お金の問題でもないし、努力の問題でもありません。

「感覚」の問題です。

 

「会社に行きたくないけど、生活のために仕方なく行く」というそれしか選択肢がないような、負け犬のような感覚ではなく、「別にいつ辞めてもいいけど、とりあえず今のところ他にいい選択肢もないみたいなので行っとく」でいいのです。

だって事実としていつでも辞めれるという選択肢があるのですから。

「あれもこれもそれもあるけど、その中で私はこれを選ぶ」でいいのです。

だってそれが事実ですから。

 

全て選択しています、自分で。それが事実です。

その事実をただありのままに見るだけです。

 

ものすごく多様な選択肢の中で、いつでも自ら選んで生きてきました。

そしてこれからもそうやって生きていきます。

主体的に人生を生きたい、というか、すでにそのように生きているのです。

あとはただ、その事実を認めるだけです。

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