日々の生活の中で、具体的には何をしたらいいか。
具体的な何かを求める人もいるでしょう。
例えば毎日30分瞑想するとか、毎日30分ストレッチするとか。
漠然とした話ではなく、具体的な、確実にわかる何かが欲しいと思う人もいるでしょう。
そういう人のために、今回は具体的な話をしましょう。
具体的にやること。
それは、「出す」ということです。
あんまり具体的ではないかもしれませんが。(笑)
…
以前、光り輝くということは「出す」ことだという話をしました。
光は自ら発します。
光は「発光」するものです。
光は出すものです。
決して取り入れるとか溜め込むとかではありません。
「出す」のです。
光り輝くとは「出す」ということです。
だから「出す」のです。
自らの持っているものを全て、余すところなく、きれいサッパリ出し尽くす、ということです。
出し惜しみしない、ということです。
お金でもモノでも、親切でも知恵でも、情報発信でもアウトプットでも、汗でも涙でも、何でもかんでも出し尽くして、きれいサッパリ燃やし尽くすのです。
その時あなたは「発光」します。
光り輝きます。
それがすなわち、幸福です。
光り輝いているその状態が、幸福です。
そして、光り輝けば輝くほど、あなたの元には更なるリソースが集まります。
光に対して、人でも物でもカネでも集まってきます。
別に「あなた」の元に集まってくるわけではありません。
あなたの発している「光」に対して、集まってきます。
そしてそれらを燃焼して、光はさらに光り輝きます。
「光り輝く」ということが大事なのです。
「何をしているか」とか、「どういう人間か」は関係ありません。
「光っているかどうか」です。
だから誰もが輝けるのです。
生まれも性別も、能力も環境も関係ないから、誰もが光れるのです。
幸せのために大事なのは、お金を集めることでも、人望を集めることでもありません。
何かを「溜め込む」のではなく、逆にそれらを燃焼して「光り輝く」ということです。
光の美しさは、見ての通りです。
あなただって光り輝きたいでしょう?
光り輝く時が、最高の充足です。
光り輝いている時が、真の満足です。
お金や人脈やあらゆるリソースは、そのための燃料です。
それらは溜め込むものではなく、使うためのものです。
なぜなら「光り輝いていること」が真の意義だから。
どんなにお金を溜め込んでも、あなた自身が光り輝かずにくすぶっているとしたら、意味ないでしょう?
光り輝いている時が、人生の醍醐味です。
それを味わわないで、一体何のために生きているのでしょうか?
あなたも光り輝いている人を見て、呆然と立ちすくんだ経験があるでしょう。
まばゆい光に圧倒されて、くわえていたあめ玉をポロリと地面に落とした経験があるでしょう。
見ているだけですよ?
あなた自身が光り輝くのではなく、人が光っているのを見ただけですよ?
それだけで呆然と我を忘れてしまうのです。
自分が光ったらどうなるか!?っていう話です。
それくらい光というものは、圧倒的なのです。
それこそが、生きる醍醐味です。
直感に従ってください。
教えられた教育ではなく、自分の捉えた直感に従ってください。
教えられた教育では、お金は大事だから貯めておきなさいなんて言われたかもしれませんが、それであなたの魂は喜びますか?
あなたの直感は何と言っていますか?
…
例えば「出せば入ってくる」なんて言いますね。
出せば後から入ってくると。
でも、入ってくることなんか期待しないでください。
ただ出してください。
ただ出して、そして光り輝いてください。
その恍惚に、酔いしれてください。
何の期待もいりません。
ただ光り輝くためだけに、出してください。
運動でもいいし、おしゃべりでもいいし、物を書くなり歌うなり、何なりと、好きなだけ、遠慮なく、思いっきり、出してください。
あなたが出すと、私もうれしいです。
あなたが出すと考えただけで、もうすでにうれしいです。(笑)
人が出すだけで、他の人はうれしいです。
そしてうれしさは連鎖します。
波のように波及します。
光は波動です。
光れば光るほど、遠くを照らします。
あなたがうれしくなればなるほど、遠くの人もどんどんうれしくなる。
これじゃないですか? 「うまくいく」って。
うまくいくって、このことを言っているんじゃないですか?
そのためにやった、具体的なことは何でしょう。
そう、「出す」ということです。
ただ出すだけです。
「何」は問いません。
何でもいいから「出す」のです。
出し惜しみせず、思いっきり気持ちよく出していきましょう。
幸せのためにやるべき「具体的」なこととは、それです。
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