すでに自由だということに、気付いておられますかな?
すでに自由。
何が?どこが?
時間に縛られ、環境に縛られ、人間関係に縛られ、何一つ自由なことなどない。
と、普通は思います。
そのような状態であっても、自由なのです。
自分を縛っているのは、自らの意識です。
「自分は縛られている」
その意識が、その人を縛っています。
鶏が先か、卵が先か。
環境がそうだから、人は縛られているのか。
それとも意識において縛られているから、そのような環境が出現するのか。
それはもはやどっちでもいいですね。
いずれにしても無限ループ。
どこでその無限ループを断ち切るか。
本当に知りたいのはそこですね。
…
そもそも自由とは何を意味するのか。
行きたいときに、行きたいとこへ、行けること。
食べたいときに、食べたいものを、食べれること。
そういうことが自由だと、人は考えていますね。
そう、文字通りそれは「考え」です。
自由というものを想像し、こうだと決め、そう認識する。
それによって、その人なりの自由なるものが、存在し始める。
あなたの中にある「自由」なるものは、あなた独自の「考え」です。
では、真の自由とは何か。
それは、そういった考えを取っ払った先にあるものです。
考えを取っ払ったらそこに残るもの。
それが自由です。
考えを取っ払ったら、何もないでしょう?
だから自由なのです。
何かがあるから、不自由でしょう?
時間とか、環境とか、人間関係とか。
何かが自分を制限するんだ! だから不自由なんだ! と。
何もなければ自由でしょう?
何の制限もないわけだから。
…
自由は「感じる」ことができるのです。実際に。
それは考えを無くすことによって。
つまり「考えない」ということですね。
前回のお話です。
何も考えないで、茫洋の海に漂うとき、自由を感じることができます。
内から湧き上がってくるのです。その感覚が。
広い海にただぼんやりと浮かぶとき、普通ならどういう感覚がするでしょうか?
「恐ろしい」
「サメに襲われたらどうしよう」
「陸地が見えない、どうやって帰るの??」
はい、それは三次元的発想ですね。
だから、必死で溺れないように手足をばたつかせたり、手近な流木に必死でつかまろうとします。
それが前回言った、すぐパソコンつけたりスマホ見たりする行為に走るということですね。
三次元的発想を抜けきらないから、広い海にぽつねんとしていたら溺れるから、必死で身を守る行動に走ります。
その三次元的発想を捨てるしかないのです、根本的な話。
三次元的発想をしてたら、いつまでも三次元世界の枠組みの中で生きるわけですから、それはそうなるハズです。
横移動によっては行けない場所には、横移動では行けないのです。
「縦」に動かないと。
いつ縦に動くのですかと、問われているのは、その一点のみです。
…
では縦移動すると、同じその茫洋の海にぽつねんと浮かぶ感覚がどのように感じられるのでしょうか。
快感です。
きっとみなさんも、温泉に浸かるのは好きだと思います。
温泉というのは、守られた、快適な場所で小さく入るもの。
安心安全快適です。
物理的に絶対大丈夫という環境で入る温泉は、気持ちいいものです。
しかし茫洋の海は底抜けです。
気持ちよさは温泉の比ではないけど、何の保証も安全もありません。
何がやってくるかわかりません、陸地も見えません。
そんな中で、どうやって安心するのか。
単純に捨てるしかありません。
不安、恐れを、単純に捨てるしかありません。
どうやったら捨てられるのか。
とことん正直であること。
本当のことは何かと、妥協無く、とことんまで追求する姿勢。
それが「本当」だとわかれば、本当ではない不安や恐れは自ずと捨てられます。
それが本当だとわかるまで追求することです。
基本的に追及しないと、そこへは行けない。
そこへ行ってみたいと思わないと、そこへは行けない。
ハワイへ行きたいと思わない人が、自らハワイに行くことはない。
その場所へ行ってみたいと思わない人が、その場所へ行く道理はない。
「なにか変だ」
「なにかがおかしい」
「どうもスッキリしない」
生きてて感じる微妙な違和感。
それにフタをしないで、とことん向き合い、何が何でも解消するのだという、不屈の精神。
微妙な違和感を敏感に捉え、それをとことんまで追求する姿勢。
どんな小さな糸口でも、普遍の真理につながっています。
どんな小さな出来事でも、とことんまで追求すれば、最終的に到達する場所があります。
「何が本当なのか」
この問いに与えられる回答はなんでしょうか。
それは「本当のこと」ですね。
一体何が本当なのかとずっとずっと辿っていくと、最終的に行き着く地点は、本当のことですね。
ずっとずっと辿っていけば、だれでも行ける場所。
そこへは自分の足で辿らないと、行けません。
誰かに代わりに行ってもらうことは、できません。
行った誰かの話や撮った写真では、代用になりません。
自分の足で行くしかないのです、その場に。
自分の足でその場に立つことと、行った誰かの話を聞くことは、全くの別物です。
だから、ブログを読んでいるだけでは、そこへは行けません。
自分の足で歩かないと。
「じゃあどこに向かって歩くんですか」となるわけですが、それが「本当の匂いがするほうへ」です。
犬がかすかな匂いを頼りに宝を掘り当てるように、真実の匂いがするほうへ、自分の足で実際に歩くしかありません。
そして辿り着く場所。
それが真の自由です。
あなたも実際に自分の足で歩き、そして自分の目で確かめてください。
本当に知りたいのであれば。
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