行きたい方向を見定める

「どうしたい」って、ぶっちゃけないと思います。

どうしたいというよりも、「どうありたい」だと思います。

 

幸福感を感じていたい、ワクワクしていたい、ホッとしていたい、みたいな。

 

それらは全部「どうありたい」であって、そのために何をしているかは関係ありません。

楽しければ何でもいい、ということです。

カラオケだろうと釣りだろうと、それ自体にこだわりがあるわけではなく、それをやるのが「楽しい」からやっているわけです。

 

そういう意味で、「何をしようか」と考えるよりも「どうあろうか」と考えるほうが、より本質的です。

 

というわけで、どうありたいでしょうか?

 

ワクワクしたい、充実したい。

そいうことも、もちろんあるでしょうが、最初の段階ではそんなことよりも「ホッとしたい」のではないでしょうか。

 

現代社会はとにかく疲れます。

やりたくないことを毎日長時間やらされる毎日です。

ワクワクや充実よりもまず、それらから解放されてホッとしたい、というのが、真っ先に思い浮かぶ正直なところではないでしょうか。

 

とにかくラクになりたい。

ひたすら寝たい。

何も考えたくない。

全部忘れたい。

全部放り出したい。

 

そんなことが、正直なところではないでしょうか。

その正直な思いを、まずは認めましょう。

 

人から賞賛されるようなビッグなことを成し遂げたいとかいうのは、その後です。

今抱えている不安や不快、苦痛、憂鬱、恐れ。

それらを全部きれいサッパリ放り投げて楽になりたいというのが、まずは最初の思いではないでしょうか。

 

だから、まずはきれいサッパリ放り投げましょう、それらを、頭の中で。

何をするかではなく、どういう状態で居たいかに意識を向けましょう。

何をするかではなく、楽でホッとして落ち着いて気分がいい状態を想像しましょう。

 

「楽になりたい、だからそのために何をしようか」ではなく、「まず楽になろう、その時自分は何を選択するだろうか」です。

楽になるのが先です。

まず楽になることを選択するのです。

その後、何をしたいと思うかです。

 

何をしようか、何をすべきだろうと先に考えるのではなく、楽を選択した後に何が「湧き上がってくるか」です。

 

自分が行きたい方向を選択し、その後に湧き上がってくるものを見守るのです。

 

つまり、はじめの「行きたい方向の選択」が大事です。

それがその後の全てを決めます。

 

これは自分で選択できるのです。

ほとんどの人は忘れているかもしれませんが、「行きたい方向」は選択できるのです。

実際に行けるかどうかはともかくとして、「そっちに行きたい」と決めることは誰にでもできるのです。

たいていの人は何も決めないで、ただ回りの状況に流されているだけかもしれませんが、決めることは誰にでもできます、実は。

そして「決める」からこそ、そっちの方向に動き始めます。

 

必要なのは「どっち」と決めるだけです。

 

具体的な何かをするわけではありません。

「どっち」と決めるのです。

 

どっちと方向を決めないで、「何をするか」だけにフォーカスをする人も多いですが、どっちと決めないとどっちにも行きません。

その状態で何かを必死でやったとしても、どっちにも行きません。

どっちと決めないことには、どっちにも行きません。

 

そして、どっちと決めたなら、そっちに行きます。

何をするかは関係なく、そっちと決めたならそっちに行きます。

一生懸命何かをやっているのにどっちにも進まない人は、「どっち」と決めてないからです。

 

で、その「どっち」ですが、具体的に事細かにイメージするといいよと言われたりします。

例えばお家が欲しいなら、間取りはどんなで壁の色はどんなでと、事細かく。

でもそれは、思い浮かばなかったら思い浮かばなくてもいいのです。

漠然としてて問題ありません。

思い浮かばないのに無理にそれを決めるのは、ウソです。

そんなウソはつかなくていいのです。

決まらないことは無理に決めなくていいのです。

だってそれが本当だから。

 

とはいえ、「何」とは具体的に言えないにしても、漠然と「こうありたい」という何かはあるはずです。

その漠然としたままでOKです。

イメージだけでいいのです。

気分だけでいいのです。

具体的な何かは、なくてもいいのです。

 

それで十分、「そっちの方向」です。

あとはそっちを「向き続ける」だけです。

あっちを向いたりこっちを向いたりするのではなく、行きたい方向だけを向き続けるのです。

 

なぜなら向いている方向に進むから。

ボウリングのボールは、目線の方向に進みます。

弓矢の矢は、見ている方向に当たります。

 

行きたいなら、そっちの方向を向くのです。

そうするとそっちの方向に進みます。

途中で向く方向を変えると、進む方向も変わります。

キョロキョロしていると、迷走してどっちにも行きません。

行きたい方向だけを真直ぐに見つめ続けるのです。

 

あなたは今、日常に流されて、どっちの方向も見定めることなく、ただ流されて過ごしているかもしれません。

いきなりワクワクや充実なんて無理!って思っているかもしれません。

まずはホッとしましょう。

 

その状態を想像してみてください。

何もしなくていい。

のんびり昼寝して、食べたい時に食べて、またごろ寝して。

太るとか痩せるとか、そんなことも気にせずに。

行きたいときに行きたいとこにフラリと行って、好きなだけそこに滞在して、何の気兼ねなく自由に暮らす。

 

で、そんな想像をしていると、「そんなのダメだ、そんなことしていたらダメ人間になる」という思考が、たとえば出てきたとしましょう。

そのときはまた、新たに選択するのです。

結局自分はどっちがいいのかと。

結局自分にとってホッとするのはどっちなのかと。

自分が選択したいのはどれなんだと。

 

自分の行きたい方向を見定めてください。

そしてそっちを向き続けてください。

 

それは外の出来事に反応する時間ではなく、自分との対話の時間です。

外のあーだこーだを全部忘れて、内なる自分とだけ対話する時間です。

 

その時間こそが、あなたを変えます。

目線を変えるということが、行き先を変えるということです。

 

「見定めた方向に進む」というのは、一種の法則です。

そういうふうになっているのです、なぜかは知りませんが。

だからその法則を利用して、自分を変えるのです。

 

あなたは今、何を見ていますか?

意識的それを選択することで、この先の方向を変えることができます。

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