本当の意味での「変わる」ということ

私たちは変わることを望んでいます。

現状にあまり納得がいかず、変えたいと思っています、ほとんどの人は。

どうすれば変えることができるでしょうか。

 

「変える」とは一般的には、AをBに変更する、赤を青に変更するというように、「何かを何かで置き換える」というような意味です。

普通みなさんが「変えたい」と思ったときは、仕事を変えたり、パートナーを変えたり、住む場所を変えたりすることを考えますね。

 

でも、みなさんが望んでいる「人生を変える」という意味においては、AをBに変えても、実は何も変わっていないのです。

 

人生を変えるとは、外側を変えることではなく、内側を変えることです。

つまり、自分を変えるということです。

 

 

自分を変える。

つまり、AをBで置き換えるように、今までの自分を新しい自分に置き換える、ということです。

外側を置き換えるのではなく、内側を置き換えるのです。

 

そのためにはまず、なりたい自分が必要ですね。

「いままでの自分」→「なりたい自分」

この変更がつまり、自分を変えるということです。

ですから、なりたい自分が何かを知らないと、話が進みません。

 

「なりたい自分」

ここが結構引っかかるところです。

「本当になりたい自分」が何かを知ることが、意外と難しいからです。

 

歌手になりたい。

お医者さんになりたい。

お金持ちになりたい。

モテたい。

 

いろいろなりたい自分が思いつくかもしれませんが、それは実際、真の望みではありません。

真の望みを把握することが、実はとても難しいのです。

 

歌手になった、お医者さんになった、お金持ちになった、モテた。

果たしてそれでゴールでしょうか?

 

いえ、ゴールではありません。

それらになってみて初めて、別にそれらになりたかったわけではないことに気づきます。

 

じゃあ本当は何になりたかったのか。

それは自分自身です。

 

あなたは自分自身でありたいのです。

それが真の望みです。

いつ、いかなるときでも、真に自分自身である。

それだけが、真の望みです。

 

 

あなたはお金が欲しいのではないのです。

真に自分自身であるために、お金が必要なだけです。

あなたは歌手になりたいのではないのです。

真に自分自身であるために、歌手というポジションが必要なだけです。

 

真の望みはすべて、「自分自身である」ということに通じています。

自分自身であることを外して、ただ歌手になっても、ただお金を手に入れても、それは全然ゴールではないのです。

 

 

では「自分自身である」って、どういうことでしょうか。

それは、したいことをしたいときにしたいだけすることです。

食べたいときに食べ、寝たいときに寝、着たいものを着、好きなだけ自由に遊ぶ。

「したい!」と思ったことを、したいだけ自由にすること。

もちろん、したくないことは何もやらない。

それが、真に自分自身である、ということです。

 

子供の頃はわりとそれに近かったかもしれませんが、大人になるにつれ、徐々に制限をかけ、どんどん自分らしさにフタをしてきました。

「そんなことはしちゃいかん」「人に迷惑をかけるな」

そんなふうに刷り込まれてきました。

 

でも、とりあえず想像の中だけでも、そういう制限を取っ払って、真に自由にした場合、どうですか?

ものすごい開放感と、ものすごいワクワクと、ものすごい喜びが湧き上がりませんか?

それはつまり「本当のこと」だからです。

それがOKであるから、そういうポジティブな感覚が返ってきます。

 

そうありたいと思いませんか?

真に自由に、どこまでも伸び伸びと、自分自身でいられる。

それが真の望みではないですか?

歌手とか医者とかお金持ちとかは、実はどうでもよくないですか?

本当に大事なのは「存分に自分自身であること」ではないですか?

 

なりましょう、それに。

 

私たちは変わることを望んでいます。

何に変わるのかというと、「自分自身に」です。

真に自分自身であることを望んでいます。

 

このゴール設定を見つけられたということは、最高のことです。

歌手とか医者とか、変な回り道をしなくていいのです。

ストレートに自分自身を目指しましょう。

 

もちろん、結果として、歌手とか医者とかがついて来るのは構いません。

何になるのかは問いません、第一義が「自分自身」でありさえすれば。

自分自身であることを、目指しましょう。

 

 

さあ、何に変わりたいのかはハッキリしました。

では、具体的にどうやって変わっていくか。

それは実践です。

実際にそれをやるのです。

 

「いや~、それはできないよ」

そうですか、ではそのままでどうぞ。

 

変わりたいなら実際に「変える」のです。

当たり前の話です。

赤を青に変えたいなら、実際に手を動かして塗り替えるのです。

本当の自分自身でありたいなら、実際に手足を動かして行動するのです。

 

いきなり大それたことをしなくていいのです。

できることからです。

 

できる限り、食べたいものを、食べたいタイミングで、食べたいだけ食べる。

行きたくないランチは断る。

ちょっと高いという理由であきらめていた服を買ってみる。

行きたかった場所に、有給とって行ってみる。

 

本当の自分を少しずつ、ちょっとずつ、実践してみる。

変わりたいなら、実際にそのように行動する。

まったくもって当たり前の話です。

 

 

あなたが何のために生まれてきたのかというと、あなたがあなたであるためです。

あなたの中になぜ、そうしたいという望みがあるのですか。

謎じゃないですか? 意味もないし理由もない。

意味もなくそうしたい。

意味もなくラーメンが食べたい、意味もなくあのコが好き。

 

意味もないし理由もないもの。

それは純粋です。

アートの存在感と一緒です。

何の腹の足しにもならないし、何の役にも立たないけど、ベラボーに高い。

それはそれだけの価値を認められているからです。

 

「何かのため」というのは、純粋ではありません。

それは不純です。

子供のため、親のため、社会のため。

それは不純です。

 

本当に純粋なのは、自分の心から意味もなく理由もなく勝手に湧き出したもの。

何にも寄っかからずにそれ単体で存在しているもの。

 

 

あなたはあなた自身であるために、生まれてきた。

あなたの「したい」という純粋な衝動を叶えるために、生まれてきた。

 

その衝動は、汚いものなんかじゃない。

それは神の声です。

この世でもっとも純粋な、神の声です。

 

今までその声を抑えてきた、フタをしてきた。

それは神に対する冒涜です。

そのことに気づいて。そしてあなた自身を解き放て。

 

本当に純粋であれば、怖いものなんてありません。

神が何かを怖がるなんてことがありますか?

あなたが本当のあなた自身であれば、何も怖いものなどないのです。

 

 

何のために生まれてきたのか、もう一度思い出してください。

そして自分自身を、生きてください。

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