私たちは変わることを望んでいます。
現状にあまり納得がいかず、変えたいと思っています、ほとんどの人は。
どうすれば変えることができるでしょうか。
「変える」とは一般的には、AをBに変更する、赤を青に変更するというように、「何かを何かで置き換える」というような意味です。
普通みなさんが「変えたい」と思ったときは、仕事を変えたり、パートナーを変えたり、住む場所を変えたりすることを考えますね。
でも、みなさんが望んでいる「人生を変える」という意味においては、AをBに変えても、実は何も変わっていないのです。
人生を変えるとは、外側を変えることではなく、内側を変えることです。
つまり、「自分を変える」ということです。
…
自分を変える。
つまり、AをBで置き換えるように、今までの自分を新しい自分に置き換える、ということです。
外側を置き換えるのではなく、内側を置き換えるのです。
そのためにはまず、なりたい自分が必要ですね。
「いままでの自分」→「なりたい自分」
この変更がつまり、自分を変えるということです。
ですから、なりたい自分が何かを知らないと、話が進みません。
「なりたい自分」
ここが結構引っかかるところです。
「本当になりたい自分」が何かを知ることが、意外と難しいからです。
歌手になりたい。
お医者さんになりたい。
お金持ちになりたい。
モテたい。
いろいろなりたい自分が思いつくかもしれませんが、それは実際、真の望みではありません。
真の望みを把握することが、実はとても難しいのです。
歌手になった、お医者さんになった、お金持ちになった、モテた。
果たしてそれでゴールでしょうか?
いえ、ゴールではありません。
それらになってみて初めて、別にそれらになりたかったわけではないことに気づきます。
じゃあ本当は何になりたかったのか。
それは「自分自身」です。
あなたは自分自身でありたいのです。
それが真の望みです。
いつ、いかなるときでも、真に自分自身である。
それだけが、真の望みです。
あなたはお金が欲しいのではないのです。
真に自分自身であるために、お金が必要なだけです。
あなたは歌手になりたいのではないのです。
真に自分自身であるために、歌手というポジションが必要なだけです。
真の望みはすべて、「自分自身である」ということに通じています。
自分自身であることを外して、ただ歌手になっても、ただお金を手に入れても、それは全然ゴールではないのです。
…
では「自分自身である」って、どういうことでしょうか。
それは、したいことをしたいときにしたいだけすることです。
食べたいときに食べ、寝たいときに寝、着たいものを着、好きなだけ自由に遊ぶ。
「したい!」と思ったことを、したいだけ自由にすること。
もちろん、したくないことは何もやらない。
それが、真に自分自身である、ということです。
子供の頃はわりとそれに近かったかもしれませんが、大人になるにつれ、徐々に制限をかけ、どんどん自分らしさにフタをしてきました。
「そんなことはしちゃいかん」「人に迷惑をかけるな」
そんなふうに刷り込まれてきました。
でも、とりあえず想像の中だけでも、そういう制限を取っ払って、真に自由にした場合、どうですか?
ものすごい開放感と、ものすごいワクワクと、ものすごい喜びが湧き上がりませんか?
それはつまり「本当のこと」だからです。
それがOKであるから、そういうポジティブな感覚が返ってきます。
そうありたいと思いませんか?
真に自由に、どこまでも伸び伸びと、自分自身でいられる。
それが真の望みではないですか?
歌手とか医者とかお金持ちとかは、実はどうでもよくないですか?
本当に大事なのは「存分に自分自身であること」ではないですか?
なりましょう、それに。
私たちは変わることを望んでいます。
何に変わるのかというと、「自分自身に」です。
真に自分自身であることを望んでいます。
このゴール設定を見つけられたということは、最高のことです。
歌手とか医者とか、変な回り道をしなくていいのです。
ストレートに自分自身を目指しましょう。
もちろん、結果として、歌手とか医者とかがついて来るのは構いません。
何になるのかは問いません、第一義が「自分自身」でありさえすれば。
自分自身であることを、目指しましょう。
…
さあ、何に変わりたいのかはハッキリしました。
では、具体的にどうやって変わっていくか。
それは「実践」です。
実際にそれをやるのです。
「いや~、それはできないよ」
そうですか、ではそのままでどうぞ。
変わりたいなら実際に「変える」のです。
当たり前の話です。
赤を青に変えたいなら、実際に手を動かして塗り替えるのです。
本当の自分自身でありたいなら、実際に手足を動かして行動するのです。
いきなり大それたことをしなくていいのです。
できることからです。
できる限り、食べたいものを、食べたいタイミングで、食べたいだけ食べる。
行きたくないランチは断る。
ちょっと高いという理由であきらめていた服を買ってみる。
行きたかった場所に、有給とって行ってみる。
本当の自分を少しずつ、ちょっとずつ、実践してみる。
変わりたいなら、実際にそのように行動する。
まったくもって当たり前の話です。
あなたが何のために生まれてきたのかというと、あなたがあなたであるためです。
あなたの中になぜ、そうしたいという望みがあるのですか。
謎じゃないですか? 意味もないし理由もない。
意味もなくそうしたい。
意味もなくラーメンが食べたい、意味もなくあのコが好き。
意味もないし理由もないもの。
それは純粋です。
アートの存在感と一緒です。
何の腹の足しにもならないし、何の役にも立たないけど、ベラボーに高い。
それはそれだけの価値を認められているからです。
「何かのため」というのは、純粋ではありません。
それは不純です。
子供のため、親のため、社会のため。
それは不純です。
本当に純粋なのは、自分の心から意味もなく理由もなく勝手に湧き出したもの。
何にも寄っかからずにそれ単体で存在しているもの。
あなたはあなた自身であるために、生まれてきた。
あなたの「したい」という純粋な衝動を叶えるために、生まれてきた。
その衝動は、汚いものなんかじゃない。
それは神の声です。
この世でもっとも純粋な、神の声です。
今までその声を抑えてきた、フタをしてきた。
それは神に対する冒涜です。
そのことに気づいて。そしてあなた自身を解き放て。
本当に純粋であれば、怖いものなんてありません。
神が何かを怖がるなんてことがありますか?
あなたが本当のあなた自身であれば、何も怖いものなどないのです。
何のために生まれてきたのか、もう一度思い出してください。
そして自分自身を、生きてください。
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