自分には何もない。
楽しいことも、素敵なことも、満たされた思いも。
お金もない、自由もない、恋人も親しい友人もいない。
あぁ、何もない人生だなぁ…。
なんて思っているアナタ。
いやいや、あなたには「何もない」があるじゃないですか。
あなただけじゃなくそれは、みんなに平等にあるわけですが。
「何もなさ」を嘆いているということは、何もなさの真の実力を知らないということですね。
いいでしょう、今日はそんなアナタに「何もなさ」の真の実力をご紹介しましょう。
何もなさは全然嘆くものではなく、喜ぶものです。
何もなさを持っていることを、共に祝いましょう。
「何もなさ」は、誰もがいつでも持っている
何もなさは、誰もが平等に持っています。
そして、いついかなる時もあります。
嬉しい時も、悲しい時も、ハイな時もローな時も。
空しい時も、満たされた時も。
「何もなさ」こそあなたが、最も頼りにすべきものです。
何もなさと共にいるだけで、あなたは安心です。
他には何もいりません。
何もなさは、あなたがどのような状態であろうとも、いつでもあります。
それと共にいないことなんて、ありません。
そんなものが「何もなさ」以外にあるでしょうか?
ありません。
何もなさは全くをもってあなたが頼りにすべき存在です。
これほど頼りになる存在は、ありません。
何もなさのことをよく知り、そして頼りにしましょう。
「何もなさ」が意味を持つタイミング
何もなさのことを、よく知ること。
これこそあなたが人生に転機をもたらす、最大のキーポイントです。
人はたいてい「何か」を追い求めるわけですが、それは、結局「何か」とは「何でもなかった」と気づくまで続きます。
何かは、何でもなかったのです。
いくら手に入れても手に入れても、それは何でもないがゆえに、キリがないのです。
死の間際にそのことに気づくことが、よくあるみたいです。
「結局人生って何だったのか!?」と。
そこで初めて「何もなさ」にリアルに出会い、そこで初めて人生の転機を迎える、ということが、よくあるみたいです。
もう人生が終わろうという、その時になって初めて…。
もちろん、死の直前まで待つ必要はありません。
あなたは今スグ、人生の転機を迎えることができます。
ただ、そのための準備が整っている人と、整っていない人がいます。
どうでしょう、あなたはそろそろ「手に入れること」の空しさに気づき始めた頃でしょうか。
それとも何かを追い求めている真っ最中でしょうか。
何かを追い求めている真っ最中の人にとって、この話は意味がないのでスルーしてください。(興味があれば聞いてください)
この話が意味を持つのは、「さんざん求めてさんざん手に入れたけど、結局何も解決しない。一体どうなってるんだ!?」というポジションにいる人です。
「何もなさ」を体感しよう
というわけで話を進めますが、何かを手に入れることは、何の解決にもならない、そのことに気づいたとき、次に向かう先はどこでしょうか。
それは、手に入れることをやめる、ということです。
「手に入れる」が違った。
じゃあ次にやることは、「手に入れるをやめる」です。
しかし、手に入れるをやめたからといって、本当にそれが真の解決になるのか。
気になるのは、そこです。
それは実際に調べてみればわかります。
「何もなさ」の中に、身を投じてみればわかります。
「何もなさ」の中に、身を投じたからといって、別に死ぬわけでもないし、宇宙人にさらわれるわけでもないので、実際にやってみるのがいいでしょう。
そして、実際に自分の体感で理解するのがいいでしょう。
というか、それでしか真に理解はできません。
話を100ぺん聞いても、体験の1回にはかないません。
というわけで、やってみてください。
これは本当にすごい体験だ!(笑)
「これは本当にすごい体験です!」とか言いたくなるのですが、それを言うと予断が生まれるのであんまり言いたくないのですが、これは本当にすごい体験です。(笑)
本当に本当にやってみてください。
最初は本当に、意味がわからないと思います。
なにしろ今まで体験したことのない初めてのことなので、よくわからないのは当然です。
しかし、ポイントにカチッと入った時、「あっ!」って。
湧き上がるんです、本然が、滾々と。
間違いのない確信を得ます。「これだ」って。
こんなことが今までの人生にあったでしょうか?
「間違いのない確信」が、今までの人生にあったでしょうか?
大抵は「うーん、どっちかな?こっちかな?」みたいな、熟考の上に熟考を重ね、それでも迷うみたいな判断がほとんどです。
しかし、「確信」です。
なぜなら、それだけが真のリアルだからです。
一般的な現実なるものは、妄想の幻想なので、そりゃあ迷うわけです。
「よくわかんねー」が当たり前です。
そのよくわかんねーをわかったフリをして生きているのが、一般的な人生です。
したり顔で語っているお偉方も、本当は何もわかっていないわけです。
誰も何もわかっていません。
ポイントにカチッと入ると、今まで何もわかっていなかったのが、ハッキリわかります。
ハッキリとわかることによって、今までいかにわかっていなかったかが、ハッキリとわかるのです。
しかしまあ、そんなことはどうでもいいです。
大事なのは「何もいらない」ということです。
今までは常に、「何かが必要」と感じて、必死でそれを追い求めていました。
でも本当は、なんにもいらないんです。
何も必要のないことを、ハッキリと理解します。
本当に何もいらないんです。
なんにも、いらないんです。
何もなくてOKであることを理解します。
すでにOKであることを理解します。
問題は何もありません。
ただひたすら、うまくいっています。
やることはただ、求めるをやめること、そして、何もないにいること。
それだけです。
それだけで全ては解決するのです。
いや、もともと解決していたことを理解するのです。
世界はもともとうまくいっているのです。
「やめる」「何もしない」とは、その余計な邪魔をしないこと、ということです。
「何もない」がわかる人とわからない人の違い
そこに到達できるのは大抵、「本当に求めるって意味ないよね」と心底理解した人なんですが、そうでなくても、単純に「何もない」に赴けば、誰でも体験は可能です。
単純に、本当に単純にそこにいてみればわかります。
「全然わかんねーよ」という人は、多分まだ求めるに未練があるのだと思います。
「これによって何か素晴らしいものが手に入る」という期待があるのだと思います。
つまり、本当には「何もない」に居てないのだと思います。
あるいは、「何もない」に何か予断があるのだと思います。
「何もないとはこういうことだ」みたいな。
あなたが今、現に持っている「何もない」に対するイメージや印象。
そういったイメージや印象の方に赴いていて、本当の「何もない」に赴いていないのです。
そういう人はどうしたらいいんだ? と聞かれても、正直わかりません。(笑)
そういう期待も予断も全部無くすんだよといっても、できる人はできるし、できない人はできません。
ただ、「何もない」が真の解決場所だと知っておくのは、損ではないと思います。
求めるにいい加減倦んだ時、そのことを思い出してみるのはいいかもしれません。
本当に全てを無くした時、フッとわかるかもしれません。
まとめ
というわけで今回は、「何もなさ」こそが真の解決だというお話でしたが、これは興味のない人にはサッパリ意味のない話だと思います。
なるべくいいものをなるべくたくさん集めるのが善だと思っている人には、正反対の話ですから。
それはそれで全くいいので、それはそれでやっていったらいいと思います。
しかし、求めるにいい加減ウンザリしているタイミングの人には、いいチャンスです。
「何もない」ということについて、真剣に考えてみるといいでしょう。
そして、それがどんなものであるか、実際に何もないの中に居てみるといいでしょう。
ただ単に居ればわかります。
それは、ハッキリ言って想像外のものです。
想像だにしなかったものです。
どのみち「求める」が違うということがわかったわけですから、「何もない」をやってみるのは、なんのリスクもありません。
ただ単にやってみたらいいと思います。
「何か」はあなたと共にあったりなかったりですが、「何もない」だけは、常にあなたと共にあります。いつでもそうです。
ですから、そいつを頼りにすればいいわけです。最強です。
いつも「何もない」と共にいれるのは、すごい安心です。
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