人生の真の姿

人間のやっていることは、つまるところ、以下の2点です。

  • マイナスの要素、ネガティブな要素を排除すること
  • プラスの要素、ポジティブな要素を取り入れること

不安や恐怖をなるべく遠ざけ、楽しいことや嬉しいことを取り入れる。

人間のいろんな活動を集約すると、そういうことになりますね。

 

これをやめたら、どうなるでしょう。

マイナスの要素を排除しない、そして、プラスの要素をあえて取り入れない。

つまり、やってくるものを取捨選択しないということです。

そのままにしておく、何も手を下さない、ということです。

 

やめたからといって、何も変わりませんね。

やめたところで、何かはやってくるし、何かは去っていきます。

 

結局「取捨選択」って、「何か」に対して、ラベルを貼っているに過ぎないのです。

やってくるものに対して、「OK」「バッド」「まあまあ」「んー、いまいち」と、いちいちラベルを貼る作業をしているだけなのです。

ラベルを貼ろうが貼るまいが、物事はやってくるし、そして去っていきます。

 

やめちゃえば?ということです。

 

何のためにそんなめんどくさいことするの? ということです。

 

それは結局、自分の人生が良いものであって欲しいという願いから発しています。

自分の人生がどれだけ良いかを、いちいち確かめたいのです。

どれだけ「良い」のラベルが多いかを数えたいのです。

そして、なるべく「良い」の数を増やしたいのです。

 

「良い」の数が多ければ満足し、「悪い」の数が多ければへこむ。

 

一種のゲームですね。

ゲームを楽しんでいるわけです。

 

そしてゲームには、勝ち負けや得点があります。

ゲームが楽しいうちはゲームに興じればいいでしょう。

しかし、負けてばっかり、得点も入らない、もうやめたい! ってなった時は、どうすればいいでしょう?

 

実際のゲームならば、やめたければやめれます。

しかし、人生というゲームは、やめたいからといってやめることはできません。

強制的にやらされます。

そして、強制的にやらされるから、しぶしぶ面白くもないゲームをガマンしてやり続けています。

 

しかしお待ちください!

人生というゲームはやめられるのです!

 

「自殺」とかそういうことではありませんよ。

普通にニンテンドーとかのゲーム機と同じように、やめられるのです。

 

それがすなわち、「ラベリングをやめる」ということです。

勝ち負けの判断をしないということです。

得点を数えないということです。

 

そんな風にゲーム的に人生をやる必要はないのです、そもそも。

 

ゲーム的人生をやめたとき、人生は本来のものに戻ります。

すなわち「何でもないもの」に。

 

我々は今まで、本来何でもない人生なるものに、ゲーム的機能を与え、それをやってきました。

でも本当の本当は、人生は「何でもないもの」です。

あまりにもゲーム的にやりすぎて、あたかもそれはもともとゲームであったかのように勘違いしていますが、それは違います。

 

それはもともとゲームではありません。

それはもともと「何でもない」です。

もともとの「何でもない」を、ゲーム的にやっていただけなのです。

 

ある意味驚愕の事実。(笑)

ゲームだとばかり思ってましたから。

 

しかし、言われてみればその通り。

確かにそれは、「何でもない」でした。

ゲームはその「何でもない」に対する、一つの「解釈」でしかありませんでした。

人生の実体は「何でもない」でした。

確かに!

 

この、人生が本来「何でもない」であることを思い出すことを「悟り」と言ったりします。

悟りって、こんなに簡単なことだったのです。

こんな簡単なことを、いちいち大げさに言うから、難しいことになっていますが。(笑)

 

 

ゲーム的人生をやめた、本来の人生。

つまり「何でもない人生」って、実際どんな味でしょうか。

 

とりあえず気楽ですね。

今まであくせく必死になって得点稼ぎをしていた、それをやめられるわけですから、とりあえず気楽です。

ホッとします。

 

そして、物事の真の姿が見えます。

ラベル付けされない全ての物事は、本来の姿を現します。

それは、ゲーム的観点、すなわち、有益無益という観点から離れた、本来の姿です。

どっちが優れている、どっちが劣っているということはありません。

得点はないのですから。

すべてフラットです。

優劣はありません。

ただ「それ」であるだけです。

どんな機能も付されません。

本来の、生の、そのまんまの「それ」です。

それがただ単にそれって、今までのゲーム的見方とは180°違います。

非常に新鮮です。

 

「つまんねえな」とかいう感想は、ゲーム的視点からしか出てこない感想です。

つまんねえは「つまる」があるからこそ出てくる感想であり、つまるもつまんねえもない世界にそんな感想は出てきません。

全てが新鮮です。

同じものがひとつもありません。

有益・無益・面白い・つまらないと、単純なジャンルでひとくくりにされてしまわない、もともとな「それ」。

すべては「それ」という独特な存在です。

良いも悪いもないのです。

ラベルから解放されたそれらは、それらのままに、それらです。

その様は、驚異というか新鮮というか、かなり面白いものです。

 

それはある意味、ゲームより面白いものです。

というか、ゲームとはまるっきり別次元です。

 

毎瞬が新鮮。

ラベリングしなければ、毎瞬が新鮮です。

毎瞬新たに萌え出づる、万華鏡を見ているような感覚でしょうか。

 

世界はただ単に面白いのです。

こっちでゲーム的機能を付さなくても、そのまんまで、人間のちっぽけな想像力を遥かに超えた新鮮味があふれているのです。

 

人生はゲームではなかった。

人生はもっと大きな、宇宙の妙なる展開でした。

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