お金というものに惑わされる人も多いでしょう。
「お金そのもの」に着目していると、そうなりますね。
いかにお金を集めるか、とか、いかにお金を使うか、とか。
お金、お金、お金と。
しかし、お金というものを正確に理解するためには、お金そのものに着目するのではなく、世界を見る必要があります。
世界を見れば、その中のお金の立ち位置がわかります。
お金だけを見ていると、間違えます。
世界を見ることによってお金を把握する方が、間違いがありません。
お金に限らずすべて、「それそのもの」に着目するのではなく、「全て」を見ることによってそれの立ち位置を見る方が間違いありません。
…
さて、お金ってなんでしょうか。
それはエネルギーの流れですね。
潮の流れや気圧の変化と一緒です。
疎や密があります。
そしてその流れを「密」にしたいと。
お金が欲しいとは、そういうことですね。
しかし、大きな視点で見てみましょう。
世界を捉えることによって、お金を把握しましょう。
お金が「密」であることに、意味はありません。
たくさんお金を持っていることには、意味はありません。
エネルギーは止まっていることに、意味はないのです。
エネルギーは、流れることに、意味があります。
どれだけ持っているかにこだわるのは、結構な的外れです。
何をどれだけ持っているかには、意味がないのです。
エネルギーが流れるときに、それに付随してお金が流れます。
お金のことはまったく気にしなくていいのです。
それは勝手に伴走しているのですから。
それよりも、自分の走りに集中していればいいのです。
お金のことは、まったく気にしなくていいのです。
お金は勝手についてくるものであり、逆についてこなくてもいいものです。
お金が大事なのではありません。
エネルギーが流れていることが大事です。
…
そしたら、どうやってエネルギーを流すのかという話になりますが、エネルギーは流すのではなく「流れている」のです。勝手に。
宇宙は勝手に運動しているでしょう?
川は勝手に流れているでしょう?
エネルギーは勝手に流れているのです。
我々にできるのは、そのエネルギーを「確認すること」だけです。
自らの内に流れるエネルギーを確認するだけです。
エネルギーの流れに着目してください。
他人でもなく、世間を騒がすニュースでもなく、芸能ゴシップでもなく、自らの内に流れるエネルギーの流れに、着目してください。
どうこうしなくても、エネルギーは勝手に流れています。
生きて、ご飯を食って、考え事をして、会社に行って、仕事をして。
ちゃんとエネルギーは流れています。
エネルギーの流れに着目しましょう。
お金のことを気にするとき、エネルギーの流れはどうなりますか?
他人のことを気にするとき、エネルギーの流れはどうなりますか?
エネルギーの流れに着目していれば、自然と整います。
無理に流そうとか、どうこうしようとしなくても、「見ていること」それ自体がすでに愛です。
愛の反対は無関心だとマザー・テレサは言いましたが、関心を寄せていることがすでに愛です。
自分を大事にしている、ということです。
自分は世界の全てです。
世界とは、自分において展開しているアレコレのことです。
自分を大事にしている時、すでに世界を大事にしています。
自然と愛に満ちた行動になります。本当に自然と。なんの無理もなく。
お金のことは、何の心配もいりません。
それはがっぽり儲かるとかそういうことではなく、量の多寡云々ではなく、自然と整うということです。
お金だけでなく、人間関係その他、自然と整います。
それは個別の事項に一個ずつ対処するのではなく、世界の中心という「自分」を大事にすることによって、自然とそうなるのです。
その「うまくいく」は、あなたが想像していたような「うまくいく」ではないかもしれません。
しかし、物事はすでにうまくいっているのです。想像と違ったとしても。
中心を外さないことです。
そうすると周辺は、自然と整います。
周辺に手出しをすると、バランスが崩れます。
ものごとは「勝手に」うまくいくのが、本来の姿です。
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