最近「何もない」ということについてお話していますが、今回もそんなお話です。
「何もない」については、以下から続くエントリーをどうぞ。
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何もないのはつまならい、と思うかもしれません。
しかし、何もないということは、全てがある、ということです。
何もないのに全てあるとは、論理的にはおかしな話に聞こえるかもしれません。
しかし実際はそんなにおかしな話でもなく、むしろ当たり前の話です。
なぜでしょうか?
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何もないとは、「全てOK」ということです。
だから全てあるのです。
簡単ですね。(笑)
「全てが起こりうる可能性を秘めている」という言い方もできます。
つまり、「全てを内に秘めている」ということです。
「何かである」というならば、それはその「何か」でしかありません。
しかしこの世界に展開している「何か」は、何かであり続けるということはできません。
一瞬たりとも同じではありません。
つまりこの世界において「何か」は存在し得ないのです。
次の瞬間にはもう「何か」ではないので。
この世界における「何か」はつまり、「何でもない」のです。(笑)
「何」とは言えないのです、厳密な意味で。
その「何」は、言った瞬間にはもう「何」ではないので。
その「何」は、すでに無い「何」です。
捕まえられないのです。
幻影です。
「世界は幻影」とはよく言いますが、それは本当に、厳密に見ればその通りです。
私たちは普段、世界を厳密には捉えず、「何となく」捉えているから、一般的な生活が成立しているのです。
厳密に捉えたら、全ては「無」に帰します。
有の中で有として暮らしていけるのは、ぼんやりと、なんとなく世界を捉えているからこそなせる業です。(笑)
「じゃあ何もないなら一体何があるんだ!?」とツッコミたくもなりますが、その通り、「何もない」があります。(笑)
というか、それしかありません。
「何もない」しかありません。
それが厳密に世界を見た場合の、見た通りの事実です。
例えるなら何もないとは「0」ということです。
何に0を足しても、変わりはありませんね。
つまり、全てに0は含まれているのです、潜在的に。
逆に言うと、0は全てを内包しています。
「無」は全てを内包している、ということです。
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「ない」ということの奥深さ。
「ない」は全ての「ある」を内包しています。
それはつまり、全てを失くすと全てを得るということです。
実に興味深い話ではありませんか?
全てを得たかったら、全てを失くすということです。
目に見える全てを消し去ってみれば、後に残るのは「無」であり、無は全てに通じている、ということですね。
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人は必ず、何かを持っています。
それは服や車といった、目に見える物理的な証拠がある場合もあれば、プライドや劣等感といった心理的な場合もあります。
「自分がもっているものは何と何と何…」
指折り数えることができるかもしれません。
しかし実際、人は何も持っていないのです。
服も、車も、心理的な全ても。
それらは持っているのではなく、「持っている気」を持っているのです。
何人も所有することはできないし、所有されることもできません。
所有というのは「概念」です。
「そうであるという気」です。
あなたはそれをもっているということを、どのように証明することができるだろうか?
証明書?契約書?
それらは気分を盛り上げるためのアイテムに過ぎず、実質はただの紙切れです。
所有は概念というこの感じ、わかりますでしょうか。
思い込みなのです、「持っている」という思い込み。
それが、この現象を厳密に見た場合の事実です。
実際のところは、「所有している」という概念を持っているだけなのです。
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何も持っていない。
つまり「0」。
それが実質です。
全てに0は付随するのです、見えない形で。
0は見えません。
だから「無い」です。
しかし「無い」という形で「ある」。(笑)
0こそが、全てに共通する唯一のもの。
0こそが、唯一の「ある」もの。
つまり、唯一の実質が「無」です。
世界の実質とは「無」なのです。
無だからこそ、所有という概念をそこに放り込むことができるし、その他もろもろを放り込むことができます。
無限のバリエーションを生むことができます。
決まった何物もないから、何物も起こりうるのです。
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人は誰しも、無限の可能性を秘めています。
明日突然億万長者になる可能性もありますし、明日突然無一文になる可能性もあります。
「可能性」としてなら、どんなことだって起こり得ます。
コロナウィルスだって、あんなことになるとは、誰が予想したでしょうか。
どんなことだって起こり得ます、「可能性」としては。
全員がそれを持っています、可能性として。
なぜなら、本質が「無」だから。
「何か」であるのは、全て一時的です。
変わらないものなんて、ありません。
そんな中で、唯一変わらないものが「無」です。
無だけは変わりません。
無だけは永遠です。
つまり、宇宙は永遠であり、私たちも永遠です。
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無であり0。
すなわち、全てがある。
この「無」という財産。
これがまさに「財産」という感覚、わかりますでしょうか?
とんでもない財産を私たち全員はもっているのです。
「有」にフォーカスするのではなく、「無」にフォーカスする。
「何か」を追っかけるのではなく、「何でもない」に居る。
それですべては解決します。
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