何かを「やらなきゃいけない」という強迫観念は、根強くあるようですね。
どんな本を読んでも、「何かをやれ」とけしかけてきますし、誰と話しても、何かやらなきゃいけない気分にさせられます。
というわけでこのブログでは逆をいきましょう。(笑)
すなわち「何もやらなくていい」と。
何もやらなくても、メシは食うし、トイレには行きます。
何だかんだ仕事には行くし、風呂にも入ります。
つまり、何もやらなくても、「やることはやる」のです。
生活は継続していくのです。
それ以上のやることは、本来やらなくてもいいことです。
やらなくてもいいことを、やらなきゃいけないという気分にさせられ、やろうとしている。
つまりはそういうことですね。
やらなくてもいいことは、やらなくてもいいのです。
やらなくてもいいことは、やらなくてもいいから、「やらなくてもいい」という言葉なわけです。
じゃああと我々がやるとしたら、それはなんでしょう。
それは「やりたいこと」ですね。
やりたいことは「やらなきゃいけないこと」ではありません。
ですから、やりたいことがないというなら、何もやらなくていいはずです。
しかし世の中、「やりたいことをやらなきゃいけない」という強迫観念さえまかり通っていますから、なかなか一筋縄ではいきません。(笑)
どのルートをどう通ったとしても、結局「やらなきゃいけない」という強迫観念に行き着くという、なかなかツラい世の中です。
どうにも強迫観念に行き着いてしまう世の中なら、世の中の情報とは距離を取ってもいいでしょう。
そして、「結局のところ自分は一体何と言っているのか」と、自分の声に耳を澄ましてみるのです。
「何もしたくない」
自分の声を聞いてみると、こう言う確率は高いのではないでしょうか。
とりあえず何もしたくない、と。
それはある意味本音だと思います。
もう疲れちゃったと。
幸せを求めていたら、ああしなさいこうしなさいと言われる。
幸せをつかみたいなら、ああしなさいこうしなさいと言われる。
もう世の中の「ああしなさいこうしなさい」にはウンザリだ。
そういう状態の人は、少なくないでしょう。
人は本当は、何もする必要はないはずです。
生きるための最低限以上のことは。
しかし、それだとツマラナイし、どうにも不満だ。
というわけで、幸せを得るための方策を求める。
そうするとああしなさいこうしなさいと言われる。
そしてツラくなり、幸せはむしろ遠ざかる。
悪循環ですね。(笑)
目下絶賛ドハマり中の人も少なくないでしょう。
ではどうすればいいか。
もう全部やめたいと思うでしょう。
でも、全部やめたからといって、求めていた幸せが手に入るわけではない。
前にも後ろにも進めない。
全くもってどうすればいいか。
というその状況を、上から眺めることはできますか?
ニッチもサッチもいかないというその状況をフワッと抜け出して、上からその状況を眺める。
その状況を眺めているその場所はどこですか?
あなたは今、どこにいますか?
その場所は、ニッチもサッチもいかない場所ですか?
ニッチもサッチもいかない状況を眺めているその場所は、ニッチもサッチもいかない場所ですか?
そこにはあなた以外の誰かがいますか? あなた以外に何かがありますか?
その場所にいるのはどんな気分ですか?
「抜け出す」ということです。
その場所がイヤなら、そこを抜け出す、ということです。
物理的に抜け出す、それもいいでしょう。
でもそれは、できる時とできない時があります。
しかし、「感覚」で抜け出すことなら、いつでもできます。
そういう発想は、たぶん今までなかったことでしょう。
ですから、やってみてください。
そして、その場所がどんな場所か、調べてみてください。
「感覚」こそが全てです。
人からああしろこうしろと言われても、感覚がついていかないこともあるでしょう。
その時、あなたの感覚は何と言っているのか。
それがあなたにとっての答えです。
感覚って、何の保証も説得力もありません。
何の根拠もありません。
だから、信じにくいという側面もあります。
理屈じゃないから納得ができないという側面もあります。
しかし、「ダイレクト」です。
これこれこういう理由だからイヤと、根拠を並べ立て、筋道立ててイヤを説得するのではなく、ダイレクトに「イヤ」。
ただ単に「イヤ」。
それだけです。
そのダイレクトさは説明できないというよりも、説明不要なのです。
「直」でわかるのです。
説得とかいらんのです。
そんなまどろっこしい手順はなくても、直でわかるのです。
テレパシーみたいなもんです。
理屈で説得できないから弱いのではなく、弱いから理屈で説得しなきゃいけないのです。
「直」ほど強いものはないのです。
そんな「最強」の自分の感覚を無視しているから、ツラくなるのです。
最強である自分の感覚を無視し、理屈や根拠によって補強されなければ説得され得ないような「弱い」理由をこそ優先しているから、オカシクなるのです。
自分の感覚は、自分にしかわかりません。
たまには外の情報をシャットアウトして、自分の感覚だけに耳を澄ましてみるのもいいでしょう。
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