結局我々が求めているのは、実際にいい状態でいること、現実にいい状態を経験していることです。
理屈でいい状態がどういうものかを納得することではなく、経験です。
たくさんの本や文章を読んで、それがどういうものかを納得したとしても、実際に自分がそれを経験していなければ、意味がありません。
経験をするためには、実際に自分でやってみるしかありません。
本を読んでいる時には、本を読んでいるという経験があり、その内容を納得している時には、納得しているという経験があります。
それらの経験は、あなたが真に求めているものではありません。
あなたが真に求めているものは、それら読んだ内容、納得した内容を、自分が実際に経験することです。
ですから、やるべきことは、実践です。
読んだ内容、納得した内容の、実践です。
実践は文字通り、実践です。
ただ、やるだけです。
それが実際どういうものか、直接自分でやってみるのです。
…
あなたが実際に求めているのは、常にいい気分でいることですね。
常にいい気分でいることを、実際に経験していることですね。
それがお望みであるなら、今すぐやりましょう。
経験はいつでも、「今」起こっています。
「今」しかないわけですから、今、やるしかありません。
過去や未来は、「今」、記憶や想像として、経験しています。
リアルは常に「今」しかありません。
事実は、永遠の「今」があるだけです。
「今」が、永遠に続いています。
経験は「今」起こります、起こっています。
今、あなたはどんな状態ですか?
…
実際に今、苦しさを感じている、やるせなさを感じている、どうにかしたいという思いを抱えている。
では、それをそのままにしておきましょう。
「何もしない」「無抵抗」「ゆるすこと」が真の解決だという話でした。
であるならば、それを実践してみましょう。
今のその状態を、そのままにしておきましょう。
それがそうであることを、ゆるしてみましょう。
ゆるす、ゆるす、ゆるす。
ゆるすだけです、やることは。
それがそうであることを、ゆるしてあげてください。
つらく、苦しいことを、ゆるしてあげてください。
悲しみや悔恨を、そのままにしてあげてください。
あなたの今の状態を、そのままに、ゆるしてあげてください。
あなたの今の状態は、あなたにゆるされて、少しホッとしましたね。
少し頬がゆるみましたね。
どうぞ今のその状態と共に、くつろいでください。
あなたを訪れてくれたその状態を、どうぞウェルカムして、共にくつろいでください。
その状態は、あなたを訪れてきてくれたのです。
他の誰でもない、あなたを訪れてきてくれたのです。
…
苦しみ、楽しみ、悲しみ、喜び。
それはさまざまなキャラクターの皮をかぶっています。
その皮の奥にあるフラットさを、見抜いてください。
それらは実質においては軽重高低はありません。
喜怒哀楽など、味わいの違いは、あります。
そのさまざまな味わいの奥にある、統一性を感じ取ってください。
全ての出来事に通底する均一性を、感じ取ってください。
そこにブレはありません。
その均一性に、ブレはありません。
個人の選り好みに焦点を当てると、そこにはブレがあります。
というか、ブレブレです。
そして普通は人は、そんなブレブレな個人の好みに従って生きています。
しかし、その均一性を見ると、ブレはありません。
全てはフラットです。
さまざまな出来事がまとう味わいに気を取られていると、それは見えません。
味わいの奥にある統一性を、見てください。
それは、世界がひとつであることの、実質です。
「全てはひとつ」とは、それのことです。
個人の好みに焦点を当てずに、そのフラットさに焦点を当てるならば、全てをウェルカムすることは、簡単です。
というか、そのフラットさを認識することが、すなわちゆるすことだとも言えます。
そのフラットさを認識することは、「それがそうであるとわかる」ということでもあります。
…
さて、普通のやり方は、何かが起きた時、それに対してどうこうしようというやり方です。
改善したり、手を加えたり、変更したり、違う解釈を試みたり。
それはすなわち、それがそれであるということをゆるさない、ということです。
そして、自分がゆるせるものへの変更を、試みます。
ゆるせるものはゆるせるけど、ゆるせないものは、ゆるせない。
そういった振り分けが、働いています。
そしてゆるせないときには、苦しみが生まれます。
ゆるせていると、苦しみは生まれません。
「ゆるせないことも、ゆるさなくちゃいけないのか」
「ゆるしがたいことも、ゆるさなくちゃいけないのか」
そんな疑問も出るでしょう。
その時は、「ゆるせない」という自分の反応を、ゆるすのです。
「ゆるしがたい」という自分の反応を、ゆるすのです。
そう考えると、世の中にゆるせないものなんて、ありません。
「ゆるせない」すらゆるすことができるなら、世の中全てをゆるすことができます。
世の中の全ての物事は、それが存在しているという時点で、全てゆるされているわけですから。
…
あなたが常にいい状態を経験したいなら、「ゆるす」ということを、常にやってみてください。
今、ここで。
「時間」は概念です。
「今」だけがリアルです。
今、ここで経験してみてください。
今、その状態を、そのまま、ゆるしてみてください。
嫌な気持ちも、空虚さも、やるせなさも、全て。
がんばって何とかゆるそうとするのは、ゆるしがたいことを無理にゆるそうとするからですね。
ゆるせないならば、そのゆるせない気持ちを、ゆるしてあげてください。
「ゆるせないという気持ち」「できないよという葛藤」「もう無理…」「助けて…」
それら全て、ゆるしてあげてください。
ゆるす、ゆるす、ゆるす。
ただひたすら「ゆるす」です。
できてもいいし、できなくてもいいです。
できることもゆるし、できないこともゆるしてください。
完全な、ゆるし。
まるで神のようですね。(笑)
言ってみればそのとき、あなたは神です。
そのとき世界と同調し、世界とひとつになります。
ただそうである世界を認め、ただそうである世界に溶け込みます。
「選り好み」に生きるのが、個我の人間です。
その奥にある統一性、フラットさを見据え、全てとひとつになるのが、神の生き方です。
それがすなわち、あなたの求めていた経験です。
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