理解よりも経験

結局我々が求めているのは、実際にいい状態でいること、現実にいい状態を経験していることです。

理屈でいい状態がどういうものかを納得することではなく、経験です。

たくさんの本や文章を読んで、それがどういうものかを納得したとしても、実際に自分がそれを経験していなければ、意味がありません。

 

経験をするためには、実際に自分でやってみるしかありません。

 

本を読んでいる時には、本を読んでいるという経験があり、その内容を納得している時には、納得しているという経験があります。

それらの経験は、あなたが真に求めているものではありません。

あなたが真に求めているものは、それら読んだ内容、納得した内容を、自分が実際に経験することです。

 

ですから、やるべきことは、実践です。

読んだ内容、納得した内容の、実践です。

 

実践は文字通り、実践です。

ただ、やるだけです。

それが実際どういうものか、直接自分でやってみるのです。

 

 

あなたが実際に求めているのは、常にいい気分でいることですね。

常にいい気分でいることを、実際に経験していることですね。

それがお望みであるなら、今すぐやりましょう。

 

経験はいつでも、「今」起こっています。

「今」しかないわけですから、今、やるしかありません。

過去や未来は、「今」、記憶や想像として、経験しています。

リアルは常に「今」しかありません。

 

事実は、永遠の「今」があるだけです。

「今」が、永遠に続いています。

 

経験は「今」起こります、起こっています。

今、あなたはどんな状態ですか?

 

 

実際に今、苦しさを感じている、やるせなさを感じている、どうにかしたいという思いを抱えている。

では、それをそのままにしておきましょう。

「何もしない」「無抵抗」「ゆるすこと」が真の解決だという話でした。

ゆるすことによって世界と同調しよう

 

であるならば、それを実践してみましょう。

今のその状態を、そのままにしておきましょう。

それがそうであることを、ゆるしてみましょう。

 

ゆるす、ゆるす、ゆるす。

ゆるすだけです、やることは。

それがそうであることを、ゆるしてあげてください。

 

つらく、苦しいことを、ゆるしてあげてください。

悲しみや悔恨を、そのままにしてあげてください。

あなたの今の状態を、そのままに、ゆるしてあげてください。

 

 

あなたの今の状態は、あなたにゆるされて、少しホッとしましたね。

少し頬がゆるみましたね。

 

どうぞ今のその状態と共に、くつろいでください。

あなたを訪れてくれたその状態を、どうぞウェルカムして、共にくつろいでください。

 

その状態は、あなたを訪れてきてくれたのです。

他の誰でもない、あなたを訪れてきてくれたのです。

 

 

苦しみ、楽しみ、悲しみ、喜び。

それはさまざまなキャラクターの皮をかぶっています。

 

その皮の奥にあるフラットさを、見抜いてください。

それらは実質においては軽重高低はありません。

 

喜怒哀楽など、味わいの違いは、あります。

そのさまざまな味わいの奥にある、統一性を感じ取ってください。

全ての出来事に通底する均一性を、感じ取ってください。

 

そこにブレはありません。

その均一性に、ブレはありません。

個人の選り好みに焦点を当てると、そこにはブレがあります。

というか、ブレブレです。

そして普通は人は、そんなブレブレな個人の好みに従って生きています。

 

しかし、その均一性を見ると、ブレはありません。

全てはフラットです。

さまざまな出来事がまとう味わいに気を取られていると、それは見えません。

味わいの奥にある統一性を、見てください。

 

それは、世界がひとつであることの、実質です。

「全てはひとつ」とは、それのことです。

 

個人の好みに焦点を当てずに、そのフラットさに焦点を当てるならば、全てをウェルカムすることは、簡単です。

というか、そのフラットさを認識することが、すなわちゆるすことだとも言えます。

そのフラットさを認識することは、「それがそうであるとわかる」ということでもあります。

 

 

さて、普通のやり方は、何かが起きた時、それに対してどうこうしようというやり方です。

改善したり、手を加えたり、変更したり、違う解釈を試みたり。

それはすなわち、それがそれであるということをゆるさない、ということです。

そして、自分がゆるせるものへの変更を、試みます。

 

ゆるせるものはゆるせるけど、ゆるせないものは、ゆるせない。

そういった振り分けが、働いています。

そしてゆるせないときには、苦しみが生まれます。

ゆるせていると、苦しみは生まれません。

 

「ゆるせないことも、ゆるさなくちゃいけないのか」

「ゆるしがたいことも、ゆるさなくちゃいけないのか」

そんな疑問も出るでしょう。

 

その時は、「ゆるせない」という自分の反応を、ゆるすのです。

「ゆるしがたい」という自分の反応を、ゆるすのです。

 

そう考えると、世の中にゆるせないものなんて、ありません。

「ゆるせない」すらゆるすことができるなら、世の中全てをゆるすことができます。

世の中の全ての物事は、それが存在しているという時点で、全てゆるされているわけですから。

ゆるすことによって世界と同調しよう

苦しみの実体、そして苦しみからの解放

 

 

あなたが常にいい状態を経験したいなら、「ゆるす」ということを、常にやってみてください。

今、ここで。

 

「時間」は概念です。

「今」だけがリアルです。

今、ここで経験してみてください。

今、その状態を、そのまま、ゆるしてみてください。

嫌な気持ちも、空虚さも、やるせなさも、全て。

 

がんばって何とかゆるそうとするのは、ゆるしがたいことを無理にゆるそうとするからですね。

ゆるせないならば、そのゆるせない気持ちを、ゆるしてあげてください。

「ゆるせないという気持ち」「できないよという葛藤」「もう無理…」「助けて…」

それら全て、ゆるしてあげてください。

 

ゆるす、ゆるす、ゆるす。

ただひたすら「ゆるす」です。

 

できてもいいし、できなくてもいいです。

できることもゆるし、できないこともゆるしてください。

完全な、ゆるし。

 

まるで神のようですね。(笑)

言ってみればそのとき、あなたは神です。

そのとき世界と同調し、世界とひとつになります。

ただそうである世界を認め、ただそうである世界に溶け込みます。

 

「選り好み」に生きるのが、個我の人間です。

その奥にある統一性、フラットさを見据え、全てとひとつになるのが、神の生き方です。

 

それがすなわち、あなたの求めていた経験です。

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