「目覚める」という言い方をします。
今までは寝ていた、あるいは夢を見ていた、ということです。
「目が覚める」のです。
この現実が夢だなんて、到底信じられません。
今までこれを「現実」として生きてきたわけですから、これは現実なわけです。
現実ではない場所が突如出現し、そこから現実を眺めたならば、それは何か現実とは別なものに、見えるかもしれません。
目覚める。
それは何か、現実とは別な場所から現実を眺める、という感覚に近いかもしれません。
現実にしか居たことがない、現実が全て。
そのように生きてきた今までを、根本的にひっくり返すようなことが、起こりうるのでしょうか。
それは起こり得ます。
現実は夢なのです、一種の。
夢の中で夢は、あたかも現実のように見えます。
しかし、目が覚めてみると、それは夢だったとわかります。
同じことです。
目が覚めてみると、現実は一種の夢だったといえます。
現実という肉体にいて、現実という世界を生きている我々は、現実から逃れようがありません。
現実に居て、現実的に生きている我々は、現実から逃れようがありません。
夢を見ている間は夢こそが全てであり、それが夢だなんて、ゆめゆめ思うこともありません。
現実に生きている我々は、現実が夢だなんて、ゆめゆめ思うこともありません。
目が覚めるのです。
朝、目が覚めて、ああえらい夢を見ていたなと気づくように、目が覚めて、ああえらい夢をみていたな、と。
目が覚めたとしても、現実をやめるわけではありません。
現実は続きます。
そこが夜見る夢とは違うところです。
夜見る夢は、朝、目が覚めたら終わります。
しかし現実という夢は、目が覚めても続きます。
しかし、もう同じようには見れません。
夢だと知ってしまったら、もう同じようには見れません。
覚めてしまうのです。
冷めた目で見る、なんて言いますが、まあそうですね。
冷めるとつまらないのか?
そうではないですね。
冷めるからこそ、どっちでもいいのです。
好きな人の前ではうまく話せなくても、どうでもいい人となら、自由に話せます。
あれと一緒です。
どうでもいいとは、自由自在ということです。
どうでもいい人となら、自由闊達に振る舞えるでしょ?
どうでもいい現実に対して、自由闊達に振る舞えるのです。
現実は夢です、一種の。
現実を本当に楽しむコツは、目を覚ます、ということです。
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