さて、「何かになろう」とするのは、今の自分に納得がいってないからですね。
今の自分に納得がいってれば、何かになろうとはしません。
では、なぜ今の自分に納得がいってないのでしょうか?
「何かが足りない」と思っているからですね。
何かもっと充実したものが欲しい、もっとチヤホヤされたい、有名になりたい。
もっと能力があって、もっとお金があって、みんなから尊敬されて、等々。
それって全部、「外のもの」ですよね。
つまり、物理的なものであったり、誰かのリアクションであったり、目に見え具体的に感じられる何か、ですよね。
つまり、「目に見える証拠」です。
目に見える証拠がないから「そうではない」という結論を導きます。
目に見える証拠を基に、判断しています。
しかし、自分を決めるのはそういった目に見える証拠ではなく、自分自身の決定です。
自分が自分を「何である」と決めることが、すなわち自分を決めることです。
それは何の証拠が無くても、決めることができるものです。
証拠があると、説得力があります。
これこれこうだから、こうだよね、と。
それはやっぱり、その証拠を基に「自分で」決めているのです。
証拠という説得力に追い風を受けて、「自分で」決めているのです、やっぱり。
逆に、沢山の証拠があったとしても、自分で自分をそのように決めなければ、そうはならない、ということです。
どんなに回りがスゴイスゴイと褒め称えても、自分でそうは思わなければ、そうはならない、ということです。
つまり、証拠があろうとなかろうと、結局は自分で決めたものに自分はなる、ということです。
証拠があると、追い風を受けてそれに流されやすい、というだけの話です。
…
「さあ、あなたは自由にあなたが何であるかを決めていいんですよ。何になりますか?」
という質問に対して、
「決めたとしても、実際なれるわけではないでしょ? お金持ちになりたいといっても、実際なれるわけではないでしょ?」
と、こうくるわけです、普通のリアクションとして。
いや、なれるんですよ、お金持ちに。
実際にお金は持ってませんが。(笑)
マインドとしてはお金持ちになれるんですよ、証拠はなくても。
お金が沢山ある、という証拠によってお金持ちになるわけではなく、お金という証拠がなくても、お金持ちにはなれるんです。
証拠は関係ないのです。
決め手は「事実」だけです。
あなたの中の事実として、あなたがお金持ちであれば、それはそうなのです。
実際にお金を持っていようと持っていまいと。
ただ、お金という証拠があれば、それを信じやすいというだけで、実際にお金があるかないかは関係ないのです。
「いや、実際にお金がなかったら意味ないよ」というのなら、その事実を受け入れたらいいのです。
実際にお金がなかったら意味が無い、という世界を選択し、そこに生きればいいのです。さぞかし楽しいことでしょう。(笑)
…
あなたは何でも自由に決めればいいというのに、何をそんなに遠慮しているのですか?
あなたのなりたい最大限のものになればいいのに、何をそんなに遠慮しているのでしょうか??
なにこの自由。なにこの無限。
ウソみたいに底抜けの自由の中で、何でそんな隅っこで縮こまっているのですか??
なればいいじゃない、自分の好きなものに。誰も止めてないよ?
てか止めてるの自分だけだし。
自分が許可しさえすれば、そこはもう自由と無限のパラダイスです。
すべては脳内の出来事です。
誰もいないし誰も見てないよ?
試しにやってみたら?(笑)
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