自分がどんどん自分らしくなってくると、どんどん個性的になってくる、特徴的になってくる。
だから当然ながら、回りとは合わなくもなる。
今まで回りに合わせていたのをやめるわけだから、それは当然、回りと合わなくなる。
それは避けては通れないこと。
回りとぶつかることを恐れていては、真に自分自身であることはできない。
自分を抑えて回りと同調するか、回りとの軋轢を気にせずに自分自身でいるか。
選択を迫られている。
…
世界は自分で作っている。
回りとぶつかったり反感を買ったりするのは、世界が動いている証拠。
世界があなたの世界となるべく、ガタガタと音をだして動き出している証拠。
何もない、止まっている世界なら、なにも起こらない。
今までと同じで、何も変わらなければ、何も変化はない。
ぶつかったり軋轢が出るのは、地殻変動と同じで、世界があなたの世界に向けて再編しつつある動き。
それに反応するのではなく、ただ眺めていればよい。
「ああヒビが入った!」って慌ててボンドで修復しなくてもよい。
再編の動きを止めるつもり?
なるようにさせておきましょう。それがベストだからそうなっています。
あなたがちゃんと100%自分自身にいて、その結果そうなっているなら、その動きを信頼してください。
それが自分を信頼するということ。
それがすなわち、あなたが選択したこと。
そのときに怖さを感じるだろう。
世界はどうなっちゃうのだろうかと。
私の世界が壊れてしまうんじゃないかと、恐怖を感じるだろう。
だまって見ていてください。その恐怖を。その世界がガラガラと崩れ落ちる様を。
再生するためには壊れますよ、古い世界は。
伊勢神宮だって、20年に1回、壊してまた新しく建てるでしょう。
…
恐怖はよく見ると、面白いものです。
目を背けるから、よくわからない。
よくわからないから、思い込みが変更されない。
「恐怖は怖い」という思い込みが変更されない。
よく見ると面白いですよ。
それはそれで、なかなかのエンターテインメント。
「スリル」に近いものがあります。
わざわざお金を払って、ジェットコースターにのったり、お化け屋敷に入ったりしますね。
あれと一緒です。
スリルはエンターテインメントです。
恐怖が出てくる。
それは世界があなたに、豊かさを提供しているということです。
「自分」とは、裏も表も含めた「トータル」であるということ。
楽しいだけが自分じゃないよと。
真に自分自身であるためには、恐怖も必要。
喜びも恐怖も両方味わってこそ、真の自分。
そのために、恐怖は出てきます。
真に自分自身であるために、そういうことになっています。
そこを避けていては、真に自分自身にはなれません。
恐怖にはしっかりと向き合い、その妙味を味わい尽くしましょう。
そこを通過してこそ、真の自分自身になれます。
恐怖が出てきたということは、喜ぶべきこと。
地殻変動が起こっているということ、世界の再編が起こっているということ。
自分自身であることを選択したあなたが、真に自分自身になるためのチャンスを与えられたということ。
目を背けずに、真正面から見据えてください。
それがあなたの選択したことです。
今、この瞬間、あなたはあなたの選択を、選択しているのです。
さあ、その選択を、貫いてください。
コメント