私たちは、学んでばかりだ。
何をどうすればいいのか、人の話を聞き、ネットを漁り、本を読み、セミナーに参加し、学んでばかりいる。
なんで学ぶのかというと、足りないと思うから。
自分はまだまだ足りないから、日々学んで、自分を高めていこう。
もっといい自分になろう。
学ぶことは、一見いいことに見える。
自分を高めることは素晴らしいことだと。
でもそれは、思い込み。
自分は高まりも低まりもしない。
それが大きな視点で見た場合の真実。
人はすでに、それでいい。
そこに付け加える何物もないし、差し引くべき何物もない。
頑張ったからといって何も変わらないし、頑張らなかったからといって何も変わらない。
つまり、頑張った結果と、頑張らなかった結果は、同列。
…
頑張っている人は疲れる。
あーでもないこーでもない。
この場合はそうで、あの場合はこうで。
真面目に熱心に学んでいる人は、正直疲れる。
なんでそんなに熱心なのかというと、不安だから。
それは「足りない」という不安が原動力。
不安に駆られて右往左往するさま。
それがいわゆる「頑張っている」ということ。
不安じゃない人は頑張らない。
頑張るべき何物もない。
不安がなければ、別にどっちでもいい。
別にどっちでもいいとき、何を選ぶか。
それは、感覚の赴くまま。
すでに、勝手に、選んでいる。
頑張るべき何物もないとき、
すでに、勝手に、選んでいる。
不安がなければ頑張らない。
不安がなければ、別にどっちでもいい。
頑張るのは美徳のように思われているけど、落ち着いて何もしない人のほうがむしろすごくないですか?
…
じゃあ「頑張るな」とは言えるだろうか。
「頑張らないでください」なんて言えるだろうか。
頑張るのをやめるのを頑張るってのも、なんか滑稽。(笑)
「頑張る」はいつまでもついて回る亡霊みたいなもの。
追い払おうったって、簡単にはいかない。
何をしても、ついうっかり頑張ってしまう。
哀しいくらいに、頑張ってしまう。
…
「やめる」ということの、魅力と味。
「もうやめよう」と言った時の、フワッと視界が開けるような解放感。
本当に欲しかったのはこれじゃないでしょうか?
すなわち解放。
やめた時、世界は溶けて流れる。
頑張って支えてきた支えが崩れ、世界は崩壊する。
ドロリと溶けて、流れ去る。
世界は消える、キレイさっぱり。
気持ちがいいくらいに。
そして、そんなもんいらんかったとわかる。
頑張って支えていたのは、いらんもんだった。
解放、楽園。
いらんもんを捨てて解放される。
捨てたら、なくなる。
なくなることが、喜びだった。
得ることじゃなかった、捨てることだった。
「無」が喜びだった。
「もういらない」と、言ってしまったらどうだろうか。
あなたの本心は、何を求めているだろうか。
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