我々は普段、常に何かを見ていますね。
生きるということは何かを見ることに等しいと言っていいくらい、常に何かを見ています。
肉眼で見える物や人や景色はもちろん、過去の記憶や未来の想像といった、肉眼では見えないものまで。
「見る」という言葉に代表される行為は、常に四六時中行っていることです。
そして、見ているものは常に、外のものです。
見るという行為は基本、外のものを見るということです。
目は外向きについていますし。
自分以外の外の何かに向かって、「見て」います。
じゃあ自分を見たらどうなりますか?
外の何かではなく、自分。
生きるに等しい「見る」という行為。
その見る行為の対象を、外から内に向け変える。
それは生き方を転換するということです。
生き方を変えたいという場合、視線を外のAから外のBに変えるということは、根本的には何も変わっていません。
外同士で変えても、何も変わっていません。
同じ外を向いているわけですから。
ただ風味が変わるだけで、本体は何も変わっていません。
外から内に変えるということが、本当の意味での「変える」です。
自分を見る。
「なにそれ、意味わかんない」とは、よく言われますね。
「わからない」という時、見ているのものは「わからない」です。
「わからない」を見るのではなく、自分を見てください。
「わからない」は見なくていいので、自分を見てください。
「え、なにそれ!?どうやんの?」とも、よく言われます。
「え、どうやんの!?」という時、見ているのものは「え、どうやんの!?」です。
「え、どうやんの!?」を見るのではなく、自分を見てください。
「え、どうやんの!?」は見なくていいので、自分を見てください。
わかんないでもどうやんのでもなく、自分を見てください。
見ているときに見ているものがそれです。
「自分」を見ているときに見ているものが、「自分」です。
それは「わかんない」でも、「どうやんの?」でもなく、「自分」です。
ただ単にストレートに「自分」を見てください。
…
自分と言うものは、全く別次元です。
外のものは全部、同じ次元です。
自分だけが、別次元です。
その別次元を見ましょう。
「見る」ということはイコール、人生でした。
別次元を見ているなら、そのときあなたは別次元を生きています。
同じ次元の中をいくら移動しても、どこにも行っていません。
同じ迷路をぐるぐる回っているだけです。
しかし、次元の移行は、上空に上がるということです。
迷路とは次元が違うのです。
そこはもう迷路ではありません。
自分と言うものを、ただ単に見てください。そして見続けてください。そっちがスタンダードになるくらい。
「経験」してください。内の世界を。
外の世界から、ちょいちょい内の世界に足を踏み入れ、そしてそこに居てください。
これが世界の転換です。
人生の転換です。
自分を生きるとは、そういうことです。
自分の素晴らしさに気づきます。
それは外の世界における自分ではありません。
外の世界において、どのような能力を発揮できるとか、どれだけ美人とか、そういうことではありません。
外でどんな自分であるかは全然関係ないのです。
内の世界に、足を踏み入れてください。
中が素晴らしいのです。
どれだけ内に居てるか。
それがすなわち、人生のクオリティです。
その転換は、「見る」によって起こります。
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