人生の解決において誰もが引っかかる難問について

ブログを読んだり本を読んだりして、みなさんは人生を好転させる方法について「理解」はされていることでしょう。

しかし、知ってはいるけれども何も変わらないという人もいます。

そういう人は、知ってはいるけど「実施」をしていないということですね。

自分ではやっているつもりだけど、実際には何も変わらないということもあるでしょう。

 

「実施」というのは、意外と難しいものです。

 

ブログを読んだり情報を仕入れることで、理解や知識を得ることはできます。

しかし、理解や知識と「実施」は、全くの別物です。

理解しても実施がなければ、何も変わりません。

詳細な設計図があっても、実際に建てなければ、ビルは建たないのと一緒です。

 

いろいろなことを沢山知っているけど何も変わらないという人は、結局のところこの「実施」がないわけです。

自分ではやっているつもりでも、何も変わらないということはつまり、そういうことです。

そして、わかっているのになぜできないのかというと、そこに難しい問題が横たわっているからです。

人生の解決における難問

人生を解決する方法は、端的に言うと「何もしない」です。

それはこのブログでもよく言っていますし、他の情報源からでもその知識は容易に得ることができますので、みなさんもよくご存じのことでしょう。

 

しかし、実施とはつまり「する」ということです。

「実際に、やる」ということです。

 

ここに矛盾が生じます。

 

つまり、「しない」を「する」とは一体どういうこと!? と。

 

まるで一休さんのトンチです。

「このはしわたるべからず」みたいな。

 

そう。

この「しないをする」も、一種のトンチかもしれません。

一見難しいけど、わかってしまえば「なーんだ」みたいな。

 

この難問、どのように解けばよいのでしょうか。

意図とは逆をやってしまう仕組み

「しない」を文字通りに解釈すると、全く動かない、微動だにしない、みたいなことになりますね。

しかし、そういうことではないということは、まあ普通にわかりますね。

「しない」というのは、意図しない、コントロールしない、無理しない、みたいな意味ですね。

これもまあ、普通にわかりますね。

 

で、ここからです。

 

意図しないという時に、「意図的に意図しない」ということになってしまうのです。(笑)

同様に、「コントロールしてコントロールしない」、「無理して無理しない」ということになります。

不思議なパラドックスですね。

それって結局、「意図している」「コントロールしている」「無理している」ですから。

 

思いっきり逆をいっているわけです。

 

意図した方向と、思いっきり逆をいっているわけです。

意図しないを意図した結果、最終的には意図しているのです。

 

意味をなすのは、最終的にどうかという部分です。

最終的に意図していたら、それは「意図している」ってことになりますね。

「意図しない」も意図したなら、それは結局「意図している」ということです。

 

実施ができないとはつまり、そこのところのトラップにハマっているということです。

難問を解決する方法

では、どのようにこのトラップを抜け出しましょうか。

 

それは、「しない」すらしなくていい、ということです。

 

人生を解決する方法は「しない」だと言われたら、「ああ、しないをしなきゃ」と、真面目なみなさんは考えてしまいがちです。

しかし、「しないをする」という時点で、すでにしていますね。(笑)

 

しないすらしない、するもしない、何もしない。

「しない」とは本来、そういうことです。

 

逆に言うと、「して」もいいわけです。(笑)

何をしてもいいわけです。

最終的に「してない」なら。(笑)

 

それはつまり「勝手に行われること」あるいは「勝手に起こること」であり、(意図的な)「する」とはまた違うのです。

本人はしてないんです、何も。

何もしてるつもりはありません。

それは起こっているのです、自分において。

「自発的」ということですね。

 

そういう意味でいうと、(意図的な)「する」は「他発的」です。

自分から起こった躍動ではなく、「そうすれば人生が好転するらしい、だからやろう」という、他からの動機付けによって動くということです。

その行動原理はつまりどういうことかというと、「いやしい」とか「あさましい」となりますね。

「~したほうが得」とか「~しとけば安心」という、本人が本来したいことではないこと、つまり「ウソ」をやろうとしているわけですから。

それはすなわち、自分にウソをついているということです。

自分にウソをつくことをさらに別な言葉でいうと、「悲しい」とか「憐れ」です。

ロクなことではありませんね。(笑)

 

ロクでもない人生は、ロクでもない行為から生まれるということです。

まるっきりそのまんまです。

 

この「する」とか「しない」の裏に隠された深層。

ここまで掘り下げてみて、ようやく本当の「理解」に到達します。(笑)

最終的に人生はシンプル

しかし、そんなに難しく考えなくても、「しない」は「しない」です。

単純にシンプルに、「しない」は「しない」です。

難しく考えるのが当たり前になっているから難しくなりましたけど、難しく考えなければ、「しない」は、そのまんま「しない」です。

 

「しない」=「する」じゃないでしょう?

「しない」=「しない」でしょう?

それは見ての通り、そのまんまそうです。

物事は全て見た通りそのまんまであり、何も隠されていないとは、本当にそうなのです。

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純粋で素直な人なら、「しない」は単純に「しない」です。

「しない」がそのまんま「しない」である人は、純粋で素直だということです。

そして、純粋で素直な人が生み出す人生は、純粋で素直なものです。

これもまた見事に、その通りそのまんまです。

 

人生は、その人自身をリアルに体現しています。

 

「世界は自分自身」とは、そういうことです。

 

「しない」を「する」と読み取った。

それはすなわち、その人はそういう人だということを表しています。

つまり、「間違えている」ということですね。

間違えている人が生み出す人生は、間違えています。

そして間違えているから、「正したい」という衝動も生まれます。

その結果、このブログをここまで読む羽目にもなります。(笑)

 

つまり、汝自身を知れ、ということです。

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「自分はどういう人間であるか」

何をする、しないといった細かい話ではなく、「自分がどういう人間か」という、もっと大きな点に着目してみるといいでしょう。

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