愛はある

さて今回は朗報第二弾です。

それは「愛はある」ということです。

(朗報第一弾↓)

幸せへの3ステップ
今日はひとつ、みなさんに朗報をお知らせしましょう。 それは、幸せは「ある」ということです。 幸せは「ない」のではありません、「ある」のです。しかも意外なほど身近に。 これは朗報ではないですか? 「ない」とあきらめる必要もなく、どこか遠くまで...

 

愛はある。

これは朗報ではないですか?

愛なんてあるのか、本当の愛は一体どこにあるのかと暗中模索していたかもしれませんが、愛はあります。それも驚くほど身近に。(笑)

愛は自らの内にある

はい、もうお分かりの通り、愛はあなたの内にあります。

というか、全ては自分の内にあります。

自分の内に無いものなんて、ありません。

自分の内に無いのは、「自分」くらいなもんです。(笑)

「私」の本質
今日は一つ、パラダイム転換をしましょう。 パラダイム転換とは、今までそうであった前提を覆すということです。 今まで人類は、この「前提を覆す」ということを繰り返して、今日までやってきました。 その「前提覆し」を、今ここでやろうというのです。 ...

 

愛ってなんでしょう。

という定義はあんまり意味が無いですね。

なぜなら、いちいちそんな定義だとか持ち出さなくても、みんながすでに心の奥深くで知っているからです。

 

その感覚、知らない人います?

知らなくても体験すれば「知っている」と言うはずです。

それくらい誰もが知っていることです。

定義だとか講釈だとかは、野暮というものです。

 

という、愛。

 

それはあります。あなたの内に。

必ずあります。

なぜなら世界は愛でできているからです。

そして、世界は自らの内にあります。

だから、愛は自らの内にあるのです。

愛の三段論法。(笑)

 

などと理屈を持ち出すのは野暮です。

本当に、野暮です。

「愛とは何々である」とか、本当に野暮です。

だって愛って、理解するものでもなく、説明するものでもなく、体験するものだからです。

それを体験しないのであれば、理解しても、腑に落ちても、意味がありません。

「感じる」のが愛だから。

 

「愛とは何」と説明して納得してもらうことは出来るかもしれません。

しかし、愛を体験してもらうことはできません。

「はい、これが愛ですよ」と、デリバリーピザみたいにお届けすることはできません。

 

愛は自らの内から湧き出るものです。

そして、愛を体験した人ならば、「絶対全員の内にある」と間違いなく断言することでしょう。

それくらい確実に、愛は自らの内にあるのです。

愛を体験する方法

これを体験する方法ですが、これはもう、いつも通りの、おなじみの方法です。

すなわち、「全ての予断を無くす」ということです。

つまり、「ありのまま世界を見る」ということです。

 

じゃあそれってどうやるんだよって話にいつもなりますが、やり方はありません。

それはやり方によって到達する場所ではありません。

やるのではなく、やらないのです。

何もやらないのです。

全て放棄するのです。

全て放棄したあとに残るのが、それです。

全てを無くしても、完全に無くしても、無くせないもの。

それが愛です。

 

無くしたらそれが出てくるのです。

それは「どこかにあるもの」ではなく、「出てくるもの」です。

どこから出てくるのか?

それは、あなたの内です。

世界に対する、あなたの見方が変わるのです。

 

今までは、疑心暗鬼で、全てを疑って、全てを恐れていたかもしれません。

「ウチの上司、絶対私のこと嫌ってる」とか「彼は本当に私のこと愛してくれているのかしら」とか。

 

しかし、全てを放棄すると、どうなるでしょうか。

それは、もはや上司のことなどどうでもいいし、彼氏のことも、どうでもいいです。

 

「それって情のない、冷たい人間じゃない?」という感想を持たれるかもしれません。

だから何だと言うのか。

そういう感想すら捨て去るのです。

情が無くて冷たかったらどうだというのか?

そんなこともどうでもいいのです。

 

そういう、「外見」を気にしない。

どう見えているかも気にしない。

本音の本音、本気の本気。

そこまで行ったことある?

ないでしょう?

だから愛を知らないのです。

 

彼の愛をいつまでも気にしているから、だから本当の愛をいつまでも知らないのです。

捨てるんです。その捨てにくいそれを。

捨てたら恐ろしいことになるじゃないか!という、その恐れも捨てるのです。

もうどうだっていいし、何だっていいのです。

 

全てがどうでもいいいし、何でもいい。

全てのすべてが、どうでもいいし、何でもいい。

その時世界は、どのように見えますか。

 

輝いて見えます。

 

全てがゆるされたとき、世界は輝いて見えます。

それって、想像しても、そのように見えるだろうな、と予感しませんか?

全てが何でもいいし、どうでもいいという気分の時、全ては輝いて見えるだろうなって、予想できませんか?

 

全てを許しているその心持ち。

それが「愛」です。

その時あなたは、愛を体験しているのです。

 

愛を体験したかったら、愛すら捨ててください。

愛なんて無くてもいいし、そんなもんどうでもいい。

その時あなたは、愛を体験するでしょう。

愛のサイクル

愛はあなたの想像を超えます。

好きとか嫌いとか、気持ちいいとか悪いとか、そういうことでもないのです。

愛はあなたの想像を超えます。しかし、確かに知っているという、その感覚。

 

生まれた時、赤ん坊の時はそうだったのかな。

もはや記憶もないけど。

世界に対する、全幅の信頼。

 

裸のままで、寝転がっている。

ただ無防備に、ただ無警戒に。

世界に対する、全幅の信頼。

 

その時世界は、どう見えただろうか。

全身で世界を信頼し、ありのままに見ていた時、その瞳に世界はどう映っただろうか。

 

あなたはきっと、今の自分の目で、それを確かめてみたいはず。

それをしっかりと味わうことができる、大人になった今このタイミングで、体験してみたいはず。

 

愛はあなたの予想を超える。

「こういうものだろう」という予断は禁物。

だけどあなたは知っている。

「確かにこれが愛だ」と。

 

それはつまり、愛に生まれ、愛を忘れ、再び愛に還るというサイクル。

何も持たずに生まれ、そして何かを得、たくさん得、そしてそれを捨て、無に還るというサイクル。

 

あなたは今、どのあたりにいるだろうか。

まだまだ得たいだろうか、たくさん得たいだろうか。

それともそろそろ、捨てる準備はできただろうか。

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