満たされるって何?どうすれば満たされるの

「満たされる」って何でしょうね。

我々は満たされることを望んでいますね。

その「満たされる」って何でしょうか。

それが何であるかを知らないことには話が前に進まないので、今回は満たされるって何か、そしてどうすれば満たされるのかについて調べてみましょう。

 

 

たとえばホッと一息ついて、コーヒーを口にした時、満たされた感じがします。

あるいは一日が終わって、ふかふかのベッドにもぐりこむ時、満たされた感じがします。

「満たされる」ってその語感とは裏腹に、「解放される」「解き放たれる」というイメージです。

容れ物に何かを注いで一杯に満たす、というイメージではありません。

むしろ緊張感を持って保っていたそれらをバシャっとぶちまけて、解放される、楽になる、というイメージです。

 

我々は普段生活をしていて、頑張ることや緊張を強いられます。

そして、趣味に没頭したり、恋人の胸に甘えたりすることによって、そこからの解放、つまり「満たされた思い」を味わいます。

緊張やこわばりを解く時、満たされた思いを感じます。

 

「満たされる」とはつまり、「解放」のことです。

 

 

凝結して、形をキープする時、緊張を強いられます。疲れます。

粉々に砕け散り、好き放題に拡散する時、自由と解放を味わいます。

我々は砕け散りたいのです。自由に、気ままに。

凝結をぶっ壊して全解放したいのです。

 

しかし、社会のしがらみによって、それはできません。

凝結を強いられます。

そこに葛藤が生じます。

生きるってなんだ、この苦しみはなんだ、と。

 

そしてたまに、コンサートに行って解放したり、好きな音楽を聴いて解放したり、温泉に浸かって解放したりします。

解放は「まれに起こる出来事」であり、そっちが主で生きているわけではありません。

 

しかし、アーティストや企業家など、真に自分を生きることに目覚めた人は、「解放」のほうにこそ主を置きます。

自分がいかに解放されているかに真剣です。

そのためにならとんでもない額を支払います。

常人がぶっとぶような額です。

 

移動するならタクシー、泊まるなら最高級ホテル、食べるなら一番高いメニュー。

普通の人と、発想が逆です。

自分が解放されていることの重要性を見抜いているのです。

そこだけが重要であると心底知っていて、最大限のリソースをそこに投下します。

 

普通なら「もったいない」と凝結してしまうところを、解放するのです。思いっきり。

解放すると、拡大します。

凝結すると、縮こまります。

 

拡大、拡大、拡大。

満たされると、拡大します。

だからアーティストや企業家は、満たすことに貪欲なのです。

満たす満たす満たす、解放解放解放、拡大拡大拡大、です。

普通の人と、発想が逆です。

普通は、もったいないもったいないもったいない、凝結凝結凝結、縮小縮小縮小、です。

 

 

さて、満たすことの意味はわかりましたね。

では、どうやって満たすかですね。

それはもう、温泉やコンサートと一緒です。

今まであなたが満たされるためにやっていたそれと一緒です。

ただ違いは、それを徹底する、ということです。

 

今までは「もったいない」が主眼にあり、解放は「たまに」でした。

今度からは解放を主眼にします。

発想を逆転させるのです。

 

そしてそれは「大金を使え」ということを、必ずしも意味していません。

一杯のコーヒーからトイレのタイミング、したいときにする、食べたい時に食べるといった、ごくごく些細なことのほうが、むしろ重要です。

できることをする、ということがとても重要なのです。

 

こういうとき人は、出来ないことを頑張ってやろうと走りがちです。

お金がないのにがんばって使おうとしたり、欲しくもないものを高いという理由で買ってみたり。

それってどうですか?

「解放」じゃなくて「緊張」でしょ?

そうじゃなくて、できることをやるのです。

大事なのは何をやるかじゃなくて、「解放」だから。

 

できないことをやろうとして、できることをやろうとしないのは、よく陥りがちなワナです。

できることをやりましょう。

解放は拡大だから、どんどん出来るようになっていきます。

「何をするか」は気にしなくていいのです。

「解放されているかいないか」

そこだけに着目してください。

 

「何をするか」という内容に着目してしまうと、しょーもない、くだらない、つまらない、ということに目がいってしまいます。

他人の目っていうんですかね。

自分にとっての価値よりも、人からどう見えるかが気になってしまうのです。

見栄ですね。

だからもっとデカいこと、すげーこと、どーんと目立つことを、ついつい志向してしまいます。

自分の本心よりも、「人から認められること」に主眼がいってしまうのです。

 

そして、見事に「緊張」と「解放」を履き違えます。

その時やっていることはすでに、人からの目という「緊張」と、よく思われたいという「頑張り」です。

 

しょーもないことでもくだらないことでも、自分にとっての意味のほうが大事です。

人生ゲームは解放されたほうが勝ちなのです。

解放解放解放、拡大拡大拡大、です。

 

さ、どうですか?

誰かに満たしてもらうことを期待するのではなく、さっさと自分で自分を満たしてあげたらいいのです。

解放解放、拡大拡大。

それがビッグバン以来の宇宙の流れです。

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