何か物事をできない理由は、ほとんど「ビビっている」からです。
怖いのです。
やりたいと思うことができないのは、怖いからできません。
お金がないからとか能力がないからというのは、じゃあお金を集めればいいじゃん、能力のある人を雇えばいいじゃん、という話になるので、そこは微妙に違います。
真のブレーキ要素。
それは「恐怖」です。
そして恐怖は、逆にそれを回避するために「やる」という原動力にもなります。
老後が怖いから年金を積み立てるとか、先生に怒られるのが怖いから宿題をちゃんとやるとか。
「恐怖」なるものに、我々はここまで翻弄されています。
それがいいとか悪いとかではなく、まずはその実態に気づいてみましょう。
どうでしょう、行動原理のかなりの部分を恐怖が占拠しているのではないですか?
(もちろん「そうではない」という方は、この話はスルーしてください)
「怖い」ですよね、実際。
みなさんの中では、事実感じられるものとして、それはあります。
これをどうこうしようとする必要はあるでしょうか?
まあ、ありませんね。
恐怖は恐怖として、その存在を認めていい。
まずはここが、ファーストステップです。
恐怖を忌み嫌っている状態から、その存在を認めてあげることは、まずは前進です。
その上で、あなたは何を選択しますか、と。
恐怖・わくわく・楽しみ・魅力…。
いろいろな要素がそこには同列に並んでいますが、あなたは何をピックアップしますか。
いろいろな要素を同列に棚に並べた今、あなたは何をチョイスしますか。
なんでも好きなものを選んでいいのです。
なんの法律もないし、なんの強制もありません。
一番好きなものを選んでいいのです。
さあ、どうします?
…
普段みなさんは結構な確率で「恐怖」をチョイスしているわけですが、それはほとんど無自覚です。
気がついたら選んでいます。
なぜならそれをあまりにも忌み嫌っているからです。
あまりにも忌み嫌うということは、あまりにも意識を集中しているということです。
恐怖をなんとかしようとすることは、恐怖にすごく意識を集中しているということです。
嫌いな人のことがいつも意識に上るのと同じです。
嫌いな人も、好きな人も、いつも意識に上りますが、どうでもいい人は上りません。
つまり意識の集中度です。
好きか嫌いかではなく、意識の集中度です。
あなたがそれのことを嫌いだから来て欲しくないと思っても、意識を集中しているからやって来ます。
だから、まずはフラットに、同列に並べましょう。
無自覚に忌み嫌っていたのを、ひとまずホッと肩の力を抜いて、同列に並べてあげましょう。
恐怖・わくわく・楽しみ・魅力…。
さあ改めて、どれがおいしそうですか?
As you like.
あなたはあなたのチョイスを、改めて選んでみてください。
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