事実とは何でしょうか。
「現にそうであること」ですね。
今、目の前に展開している事実はすべて「現にそうであること」です。
今、現に青空が広がっていて、今、現に車が行き交っていて、今、現に人が歩いています。
今、現に、目の前に見えている通りに、それらがあります。
そして、その通りにしかありません。
それ以外には、ありません。
そうじゃない通りにあるのなら、そうじゃない通りに見えるはずですが、その通りに見えているのなら、それはその通りであって、それ以外ではありません。
何を当たり前のことを言っているんだと思うかもしれませんが、そうですね、それは当たり前ですね。
世界はすべて当たり前でしかありません。
見た通り、そのまんまです。
何かを思っているとしたら、その思っていることがある。
何か感じていることがあるとしたら、その感じていることがある。
それだけであり、それ以上でも以下でもなく、それ以外でもありません。
「それ」でしかありません。
どうでしょうか、この事実。
嘘であったなら、嘘という事実がそこにあり、虚構であったなら、虚構という事実がそこにあります。
あくまで、それそのものが、その通りにあります。
動かせないじゃないですか、それって。
動かしたなら、動かしたという事実がそこにあるだけだし。
事実はどうしようもなく、無敵です。
どう考えてもかなわないのです。
事実は「そうである」と認めるしかないのです。それ以外にありえないので。
どう考えても認めるしかないものを認めない。
それがすなわち「苦しみ」ということですね。
苦しみというものは結局、これですね。
どう考えてもそうでしかないものを「いや、そうじゃない」という。
勝敗は火を見るよりも明らかです。
事実には勝てないのです。勝つ方法は無いのです。
勝つ方法は唯一、事実を「そうである」と認めることです。
そうであると認める。
これは負けでしょうか。
いや、勝ちです。
相手の勝ちを勝ちと認められるということは、勝ちです。
大きな意味で、これは勝ちです。
ここには和解があります。
両者勝ちです。win・winです。
だれも負けていませんし、誰も損していません。
両者勝ちで、両者得をしています。
無意識の抵抗。
そうでしかないものを、そうではないと否定すること。
絶対に勝ち目のない勝負に、当然の結果として負け続けていること。
そしてそれに気づかないこと。
気づかないうちに疲弊していること。
事実を見れば、これらの事実が浮かび上がってきます。
事実は何も言わずに、事実を教えてくれます。
ただそのことを見さえすれば。
コメント
なんか不快でも力で現状変更なんかはまさにこれですね、そうであるものをそうとしない❗隣国はもう他人「91年ソ連崩壊」なのにそれを認めない❗