力学の人生への応用

物理の話でいきますと、ある方向に運動している物体は、抵抗がなければ永遠にそっちの方向に進み続けます。

これは人生においても一緒です。

ある方向を志向し、そちらへ運動すると、抵抗がない限り延々そちらに進み続けます。

ですから、どうなりたい、こうなりたいということがあるならば、「そちらを志向する」ということと、「それに対する抵抗がない」という二つの要素があれば、力学の法則に従って、必ずそうなります。

そうならないとしたらそれは、志向がないか、抵抗があるかの、どちらかです。

このように力学の法則を応用すると、簡単に望む人生をクリエイトすることができます。

 

しかしながら人生は、うまくいっていない(と思っている)人の方が圧倒的に多いですね。

それはどういうことなのでしょうか。

 

まず第一に、どうなりたい、こうなりたいという志向をしていないというパターンが、非常に多いです。

スタートすら切っていない、というわけです。

これでは当たり前ですが、どこにも辿り着けません。

どこにも向かわないわけですから、どこにも辿り着かないわけです。

 

「志向する」とは、「そちらにエネルギーを集中する」ということです。

大抵の場合人は、どこにもエネルギーを集中していません。

散漫にふわふわとあっちやこっちやそっちにエネルギーを漂わせているだけです。

このとっ散らかっているエネルギーを一つの方向に向けると、物事はそちらへと動きはじめます。

物事はエネルギーを与えた方向に進みます。

 

そして一度動き始めた動きは、それを止める要素がない限り、永遠にそちらに動き続けます。

これは「習慣」というものにも、近いかもしれません。

物事が習慣化すると、何も考えないでも、すでに勝手に動いています。

いわゆる「慣性の法則」ですね。

 

 

では、このような力学を人生に応用する場合、どのような点に着目したらいいでしょう。

それは「抵抗」です。

抵抗する要素に着目します。

 

たとえば、誰かがピアノを上手に弾いているのを見て、自分もあんなふうになりたい、よしピアノを練習しよう、となったとします。

この場合、「ピアノの練習に志向が向く」ということになります。

当たり前ですが、レッスンに通うなり情報を仕入れたり始めます。

 

しかし、大抵長続きしません。

それはあっというまに抵抗に遭うからです。

どんな抵抗かというと、「自分はそれをしたくない」という抵抗です。

お金がないとか時間がないとか言う前に、自分からの抵抗に遭ってしまうです。

本当にやりたければ、お金がなくても時間がなくてもやりますから。

 

その人は、本当はピアノを弾くことにちっとも興味などなかったのです。

誰かがピアノを上手に弾いているのを見て、本来思ったのはこういうことです。

「ああ、とても気持ちよさそうだ」(だからあんな風に弾きたい)

あるいは、

「ああ、あんなふうに拍手喝采を浴びたら、とても気持ちいいだろう」(だからあんな風に弾きたい)

 

ピアノをやりたかったのではなく、気持ち良さそうな感じを体験したかったのです。

 

これはとてもよくある話です。

ヒーローになりたいのではなく、ヒーローである感覚を味わいたいのです。

 

これはすなわち、そもそも志向する方向を間違えてしまった、ということです。

「抵抗のある道を選んでしまった」ということです。

 

ここです。

 

抵抗のある道を選ぶと、必ず失敗します。

やる前からそれは、決まっています。

なぜなら、抵抗があると必ず止まるからです。

力学的に、そのように決まっています。

 

ですから、最初に選ぶ道を、抵抗がない道を選ぶこと

これが最大の秘訣です。

 

艱難辛苦を乗り越えて、努力と根性で成功を掴み取る。

そういう方法もあるかもしれません。

いえ、一般的にはそれこそが正しいやり方と思われていることでしょう。

 

もちろん、これも力学の一種です。

抵抗力より大きな推進力を与え続ければ、やはり物事はそっちに進みますから。

 

これは力学的観点で言うならば、少ないエネルギーで遠くまでいくことと、多大なエネルギーでそんなに前に進まないことと、どっちがいいですかという話になります。

 

「いや、どんな抵抗があったとしても、自分は好きな道を選ぶ」

もちろん、そう思う人もいるでしょう。

前に進まなかったとしても、好きなことをやりたいと。

 

ここで知っておきたいのは、「好き嫌い」と「うまくいく・いかない」は全く別な話である、ということです。

好きだからうまくいくのではなく、抵抗がないからうまくいきます。

それは力学的にそう決まっています。

 

人には自由意志があるので、どんな道を選んだって構いませんが、散々好きな(と思っている)ことをやった挙句、気づくでしょう。

自分は全然それが好きではなかった、と。(笑)

そうです、好きの勘違いです。

 

それは「好き」ではなく、「あこがれ」や「願望」であったのかもしれません。

「こういう自分であったらよかったのに」みたいな。

しかし、「そうでありたかった自分」と「本来の自分」は、違います。

そうでありたかった自分が抜け落ち、本来の自分に戻るとき、人は本来の道に戻ります。

 

それまでは散々試行錯誤は必要かもしれません。

しかし、本来の道は「そこ」にしかありません。

つまり、無抵抗の道。

何の無理も強がりも必要ない、本来の自分。

そこしか、ありません。

 

 

どの道を選ぶことも、自由です。

好きにしたらいいと思います。

しかし、容赦のない力学がそこに働いていて、最終的には本来の道に戻るしかなくなるということだけは、覚えておいてください。

それは好き嫌いの問題ではなく、力学的帰結です。

 

最終的に、「好き」と「うまくいく」は結合します。

「好きだからどんなな困難も乗り越えるんだ」という無理やりな感じでもないし、「別に好き嫌いとかどうでもいいし、楽にできればそれでいい」という投げやりな感じでもありません。

「ああこれが本来の自分であったか」とそこにくつろいで、トントン拍子に物事は進んでいくでしょう。

自分のやることが、好きでスムーズです。

 

本来の抵抗のない道に乗っかれば、スムーズに事は運びます。

それが「理にかなった」本来の生き方です。

 

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