というわけで、
全部が「ない」ということになると、どうなるでしょうか。
全てのものから、重さが消えていきます。
「軽く」なるのです。全てが。
軽くなるとは、どういうことでしょうか。
物事を深刻に受け止めなくなるということです。
物事を深刻に受け止めなくなるとどうなるでしょうか。
何事も気楽にできるということです。
何事も気楽にできるとどうなるでしょうか。
生きることが楽になるということです。
…
「ない」ということ。
「軽くなる」ということ。
重みがないということは、「楽」ということです。
そしてそれは、本来のことです。
「無い」が本来であるということは、前回見た通りです。
本来人生とは、軽く、スースーで、楽なものです。
本来の「無」に沿って言えば、そうです。
その本来の「何もない」に意味を足し、意義を足し、大義名分を振りかざし、理由を付け、理屈をこねて、物事はどんどん重くなっていきます。
そしてどんどん、身動きが取れなくなっていきます。
どんどん重くなっていき、どんどん動きは鈍り、どんどん疲れ、重い足を引きずるようにして歩くハメになります。
これは、自らそうしているというところもありますし、世間の流れがそうだということもあります。
そういうコンセンサスの世の中に生きていますから。
とはいえ、そこから抜け出すことも、もちろんできます。
本来の無に還ればいいだけです。
これは、難しいとも言えるし、簡単とも言えます。
世の中の大勢がそうであり、長年そのように育ってきた慣れもある中で、そこから脱却するのは難しいとは言えます。
と同時に、やること自体は、余計なものを捨て、元々そうであった本来に還るということなので、簡単とも言えます。
何も100m10秒で走れとか、明日までに100億集めろといった、無理難題ではありません。
誰にとっても不可能なことではありません。
そもそもノーリスクなので、やらない手はないとは言えます。
では、やろう!となった場合、具体的にはどうすればいいのでしょうか。
…
やることは、無に還ることです。
もともとの無を思い出すことです。
そして、そのポジションにいる、ということです。
ちっとも具体的ではないですね。(笑)
「は?無って何??」って、最初から意味わかんないですね。(笑)
そもそもの話の性質が、具体的ではありません。
なにしろやろうとしているのは、あれやこれやそれといった「具体」から離れるということなので。
しかし、ここ最近のエントリーを読んで、「無」の何たるかの大体の感覚は掴めていると思います。
無は無です。
それでもこれでもあれでもないものです。
そもそも何もないじゃないですか?
そもそも全ては、どこからともなく現れ、そしてどこへともなく消えていくじゃないですか。
もともとは「無」だったじゃないですか。
そんな、そもそもの「何でもない」を思い出すだけです。
どこにも寄り付かないということです。
どの立場も取らないということです。
どこにも寄り付かなかったら、そこは無です。
どこでもないので。
そんな「どこでもない」にいる、ということです。
どこでもないにいるとき、すべては何でもないです。
軸を取らなければ対比ができませんので。
対比ができないと、把握はできません。
つまり、全ての意味は消えます。
「それ」は「あれ」でも「これ」でもなく、本来の「それ」に戻るということです。
そこにいるとき、見えるのは「何か」ではありません。
いや、「何か」を見ていますが、その奥に「何でもない」を見ています。
奥にある「何でもない」を見ているとき、前景にある「何か」は、本来の「何か」のままです。
そのままの「何か」です。
そんなふうに、「何か」ではなく「何でもない」を、ただ見続けているだけです。
どこかに依拠するのではなく、どこにも依拠しない。
どこかに寄り付くのではなく、どこにも寄り付かない。
「そしたらどうなるんですか?」って思うかもしれませんが、なんにもありませんよ、もちろん。(笑)
なぜならここでやろうとしているのは、「何でもない」にいるということなので。
何でもなくなったら、すなわち成功です。(笑)
苦しんでいたこと、こだわっていたこと、悩んでいたこと。
それらが「何でもない」ということですね。
もちろん表層の見え方は以前と同じかもしれませんが、その奥に「何でもない」を見ています。
それらの本質が「何でもない」と知っているわけです。
だから安心です。
何が来てもその奥に「何でもない」を見ていれば、安心です。
そして、表層の楽しさや嬉しさは、そのまんま享受すればいいのです。
…
私たちはヘンな風に取り過ぎていました、物事を。
それらは「何でもない」だったじゃないですか、そもそも。
当たり前に何でもないものに、脚色を施し過ぎていました。
それらを元の「何でもない」に戻すだけです。
ただそれだけです。
つまり、もともと何でもなかったのです。
独り相撲だったのです。(笑)
独り相撲はそろそろ飽きました。
そんな時代が来ているように感じます。
過去の脚色は、ボロボロと剥がれ落ちています。
新しい時代は、自由になるでしょう。
しがらみが剥がれ落ち、固定観念が剥がれ落ち、不自由は解消されます。
無というベースから改めて、自由な飛翔が始まるでしょう。
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