「具体的な結果」という時代は終わった

前回の投稿を見て、「いやいや、何を言っとるのかね。具体的にお金が手に入らないと、具体的に恋人が手に入らないと、意味が無いじゃないか」と、そういう感想を持たれた方も少なくないことでしょう。

今すでに答えの中を生きている
目に見えること、音に聞こえること、手に触れること。 私たちはたくさんの物事に囲まれて生きています。 そして、私たち自身も、物事です。 物理的な身体をまとい、具体的に考え、具体的に行動する、一つの物事であり、出来事です。 具体的な物事。 それ...

 

それは今までの生き方ですね。

具体的な何か、具体的な成果、具体的な成功を手に入れる。

そのために頑張る。

それは「今までの」生き方ですね。

これからは、具体はもう見ません。

そんなものはありません。

その「奥に」実体はあります。

もはやそのことに気づいた時代です。

もはや昭和のモーレツ時代ではなく、令和の実質が見え始めた時代です。

具体は実質ではなく、実質が纏う衣です。

「そのように見える」という、うわべです。

うわべの奥に、実体がある。

もはや具体にはとらわれない。

そういう時代です。

 

高級車、酒池肉林、豪邸。

そういう時代でもないのです。

散歩、自由、おだやか。

本当に好きなものは何か。

本当に好きなものを、自由に、気ままに選ぶ時代です。

我々は本当は、お金が欲しいわけじゃなかったのです。

イケメンや美女が欲しいわけじゃなかったのです。

そういう「外」の具体では、本当のゴールにはたどり着けなかったのです。

 

「自分」です。

自分と仲良くすることが、最終的なゴールでした。

「外」ではありませんでした。

自分が最大限自分であることが、真のゴールでした。

 

自分が最高に自分でいれば、外のことはもうどうでもいいのです。

自由にやってくださいよ、自由に。

そして、外とはつまり、自分です。

自分が外の世界を作っていました。

なぜなら、自分の認識が、すなわち、外の世界だからです。

ですから、自分が最高になれば、外の世界も最高になるのです、自動的に。

許すのは他人ではなく自分
さて前回、否定を肯定に転換する、というお話をしましたが、これはすべて自分についての話です。 「肯定をする」というのは、全て自分についてであり、他人や外の状況ではありません。 なぜなら世界はすべて、自分の意識の上に展開しているからです。 「外...

 

具体にこだわっている限り、真の進歩は望めません。

具体はパッケージにすぎないのです。

外目線だから、パッケージにこだわります。

それが「どう見えるか」ということに、意識が行ってしまうのです。

 

これからは「実質」の時代です。

パッケージの奥にある実質に、意識が行く時代です。

自分が本当に好きなものを選ぶのです。

「自分が本当に好きなもの」

実はこれは、自分でもうまく把握していない場合が多いのです。

だから間違えます。

だからお金が欲しいとか言い出します。

お金なんて、人が作り出した「概念」だからね。

本当はお金が欲しいわけではなく、お金によって手に入るものが欲しいのであり、さらに言うと、そのお金によって手に入るものによって手に入るであろう感覚が欲しいのであり、結局は「感覚」なのです。

お金なる具体的なものではないのです。

お金云々言っているのは、すごく「浅い」のです。

自分のことを知らなさすぎです。

それはなぜかというと、今まで全く自分を見ずに、外ばかり見ていたからです。

 

自分は本当は何がしたいのか。

自分を見、自分を知り、自分を最大限生かすこと。

それが真の解決です。

それがあなたが本当にやりたいことです。

 

真実を見ましょう。

「見た目」じゃなくて。

見た目の時代はもう終わりました。

これからは「実質」の時代です。

そして実質とは、自分です。

自分の「本心」です。

自分の本心を知りましょう。

自分の本心を知り、それを最高に生かすのが、本当の生き方です。

あなたが最高に満足する、本当の生き方です。

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