泉は滾々と湧き出しています。
血が巡り、息をし、生きているということは、生命の泉が滾々と湧き出しているのです。
あなたの中にエネルギーは、常に常に、あふれています。
生きているということは、そこからエネルギーがあふれているということです。
生命はエネルギーの噴出口です。
その噴出口がふさがれていたり、滞ったりすると、エネルギーは出にくくなります。
エネルギーをスムーズに流してあげると、生き方もスムーズに、エネルギーにあふれます。
我々が気にすべきことは、他人の動向や世の中の状況などではなく、自分の噴出口がうまく働いているかどうかです。
世界がどうなっているかなんて、知ったこっちゃありません。
とりあえず関係ないでしょう? 自分のエネルギー噴出口の状態と。
自分のエネルギー状態のケアこそが、大事なことではありませんか?
自分を素晴らしくしてあげることが、世界に貢献することです。
しょぼしょぼなエネルギーで、何ほどのことができますか?
それよりもエネルギーを流し、よりたくさん流すことが、より世界貢献ではないですか?
自分を最高にしてあげることが、世界貢献です。
だから、エネルギー状態をケアしましょう。そこにこそ集中しましょう。
…
個人のエネルギーの噴出は、非常に混乱をもたらすものと考えられています、現代の社会では。
だから非常に統制が行き届いています。
法を整備し、モラルをこしらえ、溢れないように、何事もないように、慎重に統制されています。
そんな中で生きている我々の噴出口は、非常に抑えられています。
あまりエネルギーが噴き出さないようになっています。
このような統制は、人間の恐怖心から行われています。
いわゆるエゴですね。
庭師を入れ、剪定をし、美しく整えられた庭を目指しているのです。
放っておいたら雑草がはびこり、枝も葉も伸び放題で混乱を極めるだろうと。
だから常に摘んだり整えたりして混乱を収めています。
しかし、そのような剪定の入らない未開のジャングルでは、自然の摂理に基づいた秩序が、実は行われています。
一見混沌にしか見えないその奥に、自然の秩序が、粛々と進行しています。
人の目には混乱と無秩序にしか見えない、その奥に。
人はつまり、進化の過程がまだその段階だということです。
見た目の奥にある叡智に、まだ気付けない段階です。
しかし、何かがオカシイと気付く人はたくさんいます。
いまこれを読んでいるアナタとか。
なんかヘンだ、なんか違和感。
そのような思いは、実際ほとんどの人が感じています。
ただ普段はそのことを気にしてないだけで。
なぜなら人間も自然の存在だからです。
自然と響きあうものを、その根本に持っているからです。
その本来の自然に帰りたいという衝動は、誰しもが持っているものです。
その衝動と、現代の社会の在り方とのぶつかり、葛藤。
それが今現在のあなたの状況ですね。
そして答えももう出ています。
自然こそが正しいと。
人間が人間技で出した知恵よりも、自然の叡智のほうがはるかに本来であると、本能のレベルで知っています。
そしてそちらへ戻ろうとしています。
…
今、この人間の文明社会と、自然本来の在り方とで、どう折り合いをつけるのかと、その葛藤の真っ最中だと思います。
どう折り合いをつけましょうか。
それはもう、できることからやっていくだけですね。
別に文明社会からはみ出したいわけではありません。
犯罪を犯したり、山に籠ったりしたいわけではありません。
普通に生活してていいのです。
文明を享受し、皆と仲良くし、楽しくやってていいのです。
「自然」でいいのです。
何の無理もしなくていいのです。
「普通に」自分らしくいればいいのです。
「謎」に統制を設けていました、自分自身に。
別に着たい服を着ることは、何の法にも触れないし、食べたいものを食べることも、何の法にも触れません。
「謎」に、個人統制をかけていました。社会は全然そんな統制は設けてないのに。
そういう部分が何気にたくさんあります。
文明と自然は折り合いがつくのです。別に普通に。
「謎」の統制を解きさえすれば。
自然にしたときに自然に出るもの。
それに気づきさえすれば、自然とうまくいきます。
「気づくこと」ですね、やはり。
自然は自然と溢れ出しています、ごく自然に。
それはあまりにも自然すぎて、気がつかないかもしれません。
そこに気づくこと。
自分の中から湧き出してくるものに、敏感でいること。
それがつまり、噴出口のケアです。
生命の泉は今この瞬間も滾々と、湧き出しています。
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