現実創造の手順

眼前に展開している現実。

自分にとっては、それが全てと思っている現実。

それは、「全て」から見たら、点であり、塵です。

薄い紙のように、儚く、脆く、取るに足らない存在です。

 

何兆個かの細胞の一つにとっての大問題。

「アミノ酸が足りねえんだよ!」

そんな声は誰も聞いてないし、全体にとってはどうでもいいことです。

 

つまり、どうでもいいのです。

 

それが大問題だと大騒ぎしているのは、本人だけです。

なぜなら、本人にとってはその世界が全てだから。

その本人にとっての全てであるその世界を、脱します。脱してみます。

 

どこへ行くか?

全体に行ってみます。

全体とつながってみましょう。

 

ただ単にひゅーっと落ちます。

放散します、纏っている全てを。

過去も未来も放散して、どこでもない場所に行きます。

 

その時もはや、自分ではありません。

その時すでに、その現実が全てと思っていた自分ではありません。

現実はありませんので。

その時現実は、取るに足らないどころか、意識すらされません。

そんなものは、無いと言っていいくらいに、ありません。

 

つまり、その瞬間全部忘れてしまうのです。

全部忘れてしまったその場所にあるものはなんでしょうか。

何もありませんね。

何もないということすら、ありませんね。

あなたの大問題は、どこにもありません。

大問題だけでなく、何もありません。

 

あんなに大騒ぎをしていた大問題は、どこへ行ってしまったのでしょう。

 

そんなものは、なかったのです。

つまり、あなたの頭の中にだけ、あったのです。

あなたの頭以外に、そんなものはありません。

それは何もないに行ってみればわかります。

 

これがある意味たわ言に聞こえることは、知っています。

頭を脱したことがない人にとって、頭は全てです。

それ以外の世界なんて想像もできないし、行ったこともありません。

 

他人の世界には、行けません。

そもそも他人なんてないので。

他人もあなたの頭の中に登場する様々な要素の一つにすぎません。

じゃあどこに行けるかといったら、根っこです。

 

あなたが葉っぱだとしたら、根っこにつながっています。

つながっているから、そこに行けます。

別な木の別な葉っぱには行けませんが、自分の木の根っこなら行けます。

外ばかり向いている目を、内に向けます。

 

信じられないくらい外ばっかり向いていますよね、我々の目って。

人の動向を気にしていたり、テレビのニュースを気にしていたり、芸能人のゴシップを気にしていたり、天気を気にしていたり、将来を気にしていたり、今やっている仕事を気にしていたり。

全部外のことです。

自分のことは全く気にしていません。

気にすると言っても、体型や外見といった、やっぱり外見ばかりです。

 

「自分」ってなんでしょう。

 

外ばっかり見ていますが、その外ばっかり見ている「自分」ってなんでしょう。

 

あらゆる出来事の中心に位置する自分。

そこからあらゆる出来事を見ている自分。

それがなければ、外側の何物もないわけですよね。

全てはそこから見ているわけですから。

芸能人のゴシップにはとても詳しいわけですが、その詳しい張本人である自分には全然詳しくない。

自分こそが外側全部の発信源であるわけですから、外側を個別に攻略するのではなく、本丸を攻略すればいっぺんに片が付くわけです。

つまり、自分の頭の中です。

 

自分の頭の中に全てが展開しているわけですから、自分の頭さえ攻略してしまえば、片が付くわけです。

 

自分の頭を攻略するとは、どういうことか。

頭の中に展開している全てを、ちゃぶ台をひっくり返すみたいに全部放擲するのです。

バーン!!

 

頭に詰め込まれたごちゃごちゃが綺麗サッパリ無い時、それはそもそも何なのか。

我々は頭の中に詰め込まれた内容物にいつも着目していますが、容れ物である頭のほうは何なのか、それってそもそも何なのか。

それがすなわち「自分」ですよね。

その容れ物が。

それを知るということが、自分を知るということですね。

 

内容物は出たり入ったり変化したりしますが、容れ物は変化しません。入れ替わったりもしません。

いつも、いつでも、変わらない。

永久不変。

変化するものに気を取られていて、変化しないものを知らない。

それを知ること。

それがすなわち、本丸を攻略するということです。

 

外側のあれやこれやが、出たり入ったり変化したりするわけですが、それを容れている容れ物は永久不変で変わらない。

それこそが自分であると知ること。

それが本丸の攻略です。

 

「それを知ったところで何になる」と思いますね?

何にもならない。

三次元世界に何か成果をもたらすかといったら、そんなことはない。

何にもならないところがすごい。(笑)

何にもならないからこそ、すごい。

何にもならないからこそ、普遍です。

 

何か成果を求めているなら、他のブログを読んだほうがいいと思います。

沢山のハウツーがあふれています。

結局ハウツーじゃ根本が解決されないから、このブログを読んでいるのだと思います。

そしてその根本は、自分という永久不変を知ることです。

 

いまこの記事を読んで、永久不変が分かったと思います。

そして、わかったからといって、別に何ともないと思います。

何か感動があるわけでもなし、「へ~、そうなんだ」くらいだと思います。

それくらい当たり前で何でもないことです。

何の感動も劇的な何かもありません。

ただ淡々と、普通に、当たり前です。

 

世界のベースにあるもの。

それは、淡々と、普通に、当たり前のものです。

いちいち劇的な何かがありはしない。

 

チャーミングで心地よいメロディーラインは、ベースに支えられて真価を発揮します。

ベースが変われば、メロディーの意味も変わります。

普段は意識して聴いていないけど、それのおかげで世界が華やか。

普段はうっとりするメロディーばかり追いかけているけど、それがうっとり美しいのはベースのおかげ。

 

その全体像を把握すること。

メロディーだけで音楽が構成されてないこと。

全てのメロディーやリフは、ベースの上に展開していること。

つまり、全体像の理解、把握。

 

「わかっている」ということは、強力なパワーです。

「わかっていない」ということは不安ですが、「わかっている」ということは、安心です。

わかったからといって、何がどうということはありませんよ。

わかったからといってモテるわけでも大金が転がり込んでくるわけでもありません。

ただし、「余裕」が生まれます。

 

何がどうなっているかを把握することは、余裕を生みます。

「え?なに?どうなってんの??」と、キョロキョロする必要はありません。

「ふむふむなるほどね」と、余裕で次の一手を繰り出せばいいのです。

ずいぶん楽になるでしょ?

それが本丸を攻略する威力です。

 

全体を俯瞰したうえで繰り出す一手は、的を得ます。

あなたは静かに、落ち着いて、着実に、事を進めていけばいいのです。

それがすなわち、現実創造。

現実は「内」から、作るのです。

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