真の自分へと還る道。
それは「落下」です。
「昇る」ではないですね。「落ちる」です。
昇るはものすごいエネルギー使いそうなイメージですけど、落下は使いません。
落下は自分では何のエネルギーも使わないけど、落下する物体にはすごいエネルギーが備わっています。
ビルの上から一円玉落っことしても、ぶつかったら死ぬなんていいますね。
自由落下は、本人はエネルギー使わないけど、纏うエネルギーはすごいのです。
そんな落下の感覚って、どうですか?
気持ちいいような、怖いような。
何もしてない、為す術もない。
何か見えない力が働いて、軽くなる、重力がなくなる。
逆に浮き上がるような。
ちょっとした異次元のような感覚です。
掴まっている手を離すと、落ちます。
必死で頑張っている緊張を緩めると、落ちます。
ファ…っと。
落ちるのは少し怖いです。毎回チャレンジです。
でも確かに、そっちが正しいと知っています。
力が働く方向が、下だからです。
なぜ?
そんなことは知らない。
でも下向きに力が働いているのが、事実です。
だからそれに従うまでです。
ただ単に、真実に従うのです。
事実として下向きに力が働いている。
だからそれに従って、私たちは落ちるのです。
逆らうんじゃない、従うのです。
真理に、真実に。
…
落ちる気持ちよさ。
それは堕ちる気持ちよさに似ています。
堕ちる。
そう、堕ちるのです。
私たちは堕ちないように、必死で重力に抗ってきた。
真実の力と逆方向に、必死で力を働かせてきた。
堕ちたくない。堕ちたくないと。
堕ちなさい。
堕ちてみなさい。
死にはしない。
堕ちてその目で確かめなさい。
何が真実かを。
お菓子ばっかり食いたかったら、死ぬほど食えばいい。
一日中眠りたかったら、三日でも四日でも寝ればいい。
堕ちてみればいい。
堕ちてその目で確かめればいい、我々は本当に必死でどっかに掴まっている必要があるのかと。
…
落ちるということは、真実に従うこと。
なぜなら重力は下向きに働いているから。
真実に身を委ねるということ。
真実に同調するということ。
落ちると気持ちいいです。
例外なく気持ちいいです。
気持ちよくなかったら、それは落ちてない。
それは落ちるフリ、あるいは落ちるまね事。
落ちるということについて、考えてみてください。
落ちる。堕ちる。
落ちるということが、スムーズに真実へと吸い込まれる道です。
落ちるということに、思いを致してみてください。
そして、落ちるということがどういうことかを、掴んでください。
そしてまた、実際に落ちてみてください。
背筋を伸ばし、肩の力を抜いて、腹の底から成り行きのままファーっと息をするだけで、落ちた感覚が味わえます。
かように簡単なことなのです、落ちるということは。
単に力を抜いて、なるがままにすることです。
力を抜くと、勝手に動き出します、物事が。
あなたがあーだこーだ世話を焼かなくても、世界は勝手に動きます。
信頼すればよい、ただ単に。
あなたがせっせと手を入れないと、世界は保てないわけではありません。
余計な手を出さないほうが、世界はうまくいくのです。
上司が細かく世話を焼くより、部下を信頼して任せたほうがよい結果が出るでしょう?
でもあなたは、こいつらに任せるのは不安とばかりに、手を出さずにはいられないでしょう?
わかります。もちろんそうです。それが人情というものです。
だからこそ、チャレンジなのです。
世界に任せる。世界に身を委ねる。
部下を見守る度量、信頼して任せる勇気。
あなたは試されている。
試されてごらんなさい。
失敗してやらかすよ。
あなたの信頼を裏切るような結果も出すよ。
それでも試されてごらんなさい。
試され続けてごらんなさい。
もはや結果などはどうでもいいのです。
その時あなたは、最強の上司です。
結果が重要ではないのです。
あなたがどういう人間かが問われているのです。
部下が失敗すると、それ見たことかと鬼の首でも取ったかのようにガーガー言う上司。
自分の立場が危うくなろうとも、それでも信頼して任せる上司。
あなたは試されているのです。
試される舞台へと登場したのです、今。
さあ、あなたはあなたのチャレンジを始めてください。
いま舞台の上でスポットライトを浴びているのは、あなたです。
あなたの番です。
コメント