「今に在る」
って、今以外の一体いつに在ることができますでしょうか。
今しかありません。
今以外にありようがないのに、「わざわざ」今に在ることはできますでしょうか。
もうすでに今にいます。
いついかなる時も、今にいます。
今いるところが、すなわち今です。
今にしかいれません。
今以外のどこにもいることはできません。
…
今、これ。
今ある全て。
それ以外に何がありますでしょうか。
今目に見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、湧き上がってくる思考・感情。
それ以外に何がありますでしょうか。
それは分離していますか?
分離という思考や解釈は置いといて、それは分離していますか?
分離もクソもないですよね。
ただ「それ」ってだけで。
ただそれ、以上。
そうじゃないですか? 事実は。
何もすることはないし、何もできない。
ただそれがそれとしてあるだけではないでしょうか。
始まりも終わりもありません。
いいも悪いもない。
本当に、ただそれ。
それが最終的な事実ではないでしょうか。
…
もはやすることは何もありません。
ただそれが展開しているだけです。
考え事は起こり、葛藤は起こり、後悔や執着は起こり、良い気分は起こり、悪い気分は起こる…。
だから何だというのでしょう。
ただ起こった。
それだけです。
それについての解釈が起こり、肯定が起こり否定が起こり、問題提起が起こり、解決策が起こったとしたら、それもまた、ただ起こったということです。
どこまでいっても、ただそれが展開しているだけです。
それはもう、どうこうするようなものではありません。
ただ「そう」だというだけです。
どこまでいっても「そう」、ただひたすら「そう」です。
自分もいないし、他人もいません。
「自分」「他人」という解釈があるだけです。
事実を見たら、もう無しかありません。
本当にもう、何も無いです。
それでいいとか悪いとかさえ、もう何も無いですね。
問題も無いし、解決も無い。
ただひたすら無。
以上です。
コメント
もうほんっっっと私が書きたいような内容がつらつらと出ている。
くやピーーーーーー