「今、ここ」とは何か

「今に在る」

って、今以外の一体いつに在ることができますでしょうか。

今しかありません。

今以外にありようがないのに、「わざわざ」今に在ることはできますでしょうか。

 

もうすでに今にいます。

いついかなる時も、今にいます。

今いるところが、すなわち今です。

今にしかいれません。

今以外のどこにもいることはできません。

 

 

今、これ。

今ある全て。

それ以外に何がありますでしょうか。

 

今目に見えているもの、聞こえているもの、感じているもの、湧き上がってくる思考・感情。

それ以外に何がありますでしょうか。

 

それは分離していますか?

分離という思考や解釈は置いといて、それは分離していますか?

 

分離もクソもないですよね。

ただ「それ」ってだけで。

 

ただそれ、以上。

そうじゃないですか? 事実は。

 

何もすることはないし、何もできない。

ただそれがそれとしてあるだけではないでしょうか。

 

始まりも終わりもありません。

いいも悪いもない。

 

本当に、ただそれ。

それが最終的な事実ではないでしょうか。

 

 

もはやすることは何もありません。

ただそれが展開しているだけです。

考え事は起こり、葛藤は起こり、後悔や執着は起こり、良い気分は起こり、悪い気分は起こる…。

 

だから何だというのでしょう。

ただ起こった。

それだけです。

 

それについての解釈が起こり、肯定が起こり否定が起こり、問題提起が起こり、解決策が起こったとしたら、それもまた、ただ起こったということです。

どこまでいっても、ただそれが展開しているだけです。

 

それはもう、どうこうするようなものではありません。

ただ「そう」だというだけです。

どこまでいっても「そう」、ただひたすら「そう」です。

 

自分もいないし、他人もいません。

「自分」「他人」という解釈があるだけです。

事実を見たら、もう無しかありません。

本当にもう、何も無いです。

 

それでいいとか悪いとかさえ、もう何も無いですね。

問題も無いし、解決も無い。

ただひたすら無。

以上です。

コメント

  1. セリスシェール より:

    もうほんっっっと私が書きたいような内容がつらつらと出ている。
    くやピーーーーーー

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