「幸せ」とは、どんな感覚でしょう

「幸せ」って、どんな感覚でしょう?

 

多くの人は、多くの時間を、幸せという感覚もなく、過ごしているのではないでしょうか。

「今幸せですか?」と聞かれると、「幸せって感じはないですね。まあ普通?」みたいな返答が多いのではないでしょうか。

多くの人は幸せを実感したいと思いながら、そうではない状態を過ごしています。

 

幸せって、どんな感覚でしょう?

何か心地よくて、いい気分でしょうか。

お酒を飲んでいる時みたいな気持ちよさでしょうか。

 

 

幸せの感覚ってのは、あなたが今感じているその感覚、そのままです。

その「幸せって感じはないですね。まあ普通?」という感覚がそのまま、幸せの感覚です。

なにか「幸せの感覚」という特定の感覚があるわけではないのです。

あなたが感じている全てが、幸せの感覚です。

 

「え~!?全然そういう気がしないけど!?!?」

そうですか。

そういう気がしなくても、そうなのです。

 

逆に、「ああ、全部が幸せなんだ」とわかったとしても、その感覚が変わるわけではありません。

全部が幸せだとわかったとしても、相変わらず今感じているそれが幸せの感覚であることに、変わりはないのです。

つまり、わかってもわからなくても、それがそうだということです。

 

 

幸せとは、「そうでしかないことが腑に落ちる」という言い方もできるでしょう。

世界はただ単にそうであるだけなんですが、それを否定している状態が、幸せではないとう状態です。

そうでしかないものに対して、あれはいやだ、これはいやだ、と言っているのが、幸せではない状態です。

そうでしかない世界を否定することによって、自ら幸せを拒否しているのです。

 

「これが幸せの感覚?そんなわけないだろ」と、幸せの感覚を、自ら拒否しているのです。

「幸せ?ん~全然感じないですね」っていうそれがそのまま、幸せの感覚です。

それに気づけないのは、「それでないもの」を、求めているからです。

 

それでしかないものがそれでしかないとわかった時、全ては何の変更もなくそのまま、幸せになります。

世界は変わりませんが、あなたが変わるのです。

そしてあなたが変わると、世界も変わります。

 

それによって「幸せ?ん~全然感じないですね」っていうそれがそのまま、幸せの感覚になります。

それは、わかる以前の感覚となんら変更はありません。

全く同じものに対して、以前は「幸せの感覚でない」と言い、今は「幸せの感覚である」と言っているのです。

 

 

幸せの感覚なるものは、幻想です。

そんなものはありません。

事実は、あるものがただ、あるだけです。

みなさん、ありもしないものを、求めているのです。

 

幸せの感覚なるものは、ありません。

幸せも、ありません。

何もありません。

 

世界は肯定しようが否定しようが、あるものがただあるだけです。

幸せなんてものはありませんし、幸せの感覚もありません。

 

あるものがあるままに、ただある状態。

それをただ幸せと「呼んでいる」に過ぎないのです。

「幸せ」なる実体があるわけではありません。

 

あるものがあるままに、ただある状態。

それって、ただ単に当たり前ですよね。

つまり、幸せって当たり前なんです。

 

それは探すものでも求めるものでもなく、もともとそうなのです。

 

あなたが感じているその感覚。

「え~幸せ?全然感じないよ~」

それってもともとそうですよね。

ただひたすらそうでうよね。

その様を「幸せ」と、便宜上そう呼んでいるのです。

 

「あ~これが幸せなんだ~」と、幸せの感覚がないまま、自分にウソをついて無理にそう思い込んだとしても、やっぱりそれも幸せです。

どこまでいっても幸せから逃れられないのです。だってもともと幸せだから。

 

幸せの感覚は、無理にこしらえる必要はないのです。

想像上の幸せの感覚を追い求める必要もないのです。

いつどこで何を感じたとしても、それがそのまま、幸せの感覚です。

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