「幸せ」って、どんな感覚でしょう?
多くの人は、多くの時間を、幸せという感覚もなく、過ごしているのではないでしょうか。
「今幸せですか?」と聞かれると、「幸せって感じはないですね。まあ普通?」みたいな返答が多いのではないでしょうか。
多くの人は幸せを実感したいと思いながら、そうではない状態を過ごしています。
幸せって、どんな感覚でしょう?
何か心地よくて、いい気分でしょうか。
お酒を飲んでいる時みたいな気持ちよさでしょうか。
…
幸せの感覚ってのは、あなたが今感じているその感覚、そのままです。
その「幸せって感じはないですね。まあ普通?」という感覚がそのまま、幸せの感覚です。
なにか「幸せの感覚」という特定の感覚があるわけではないのです。
あなたが感じている全てが、幸せの感覚です。
「え~!?全然そういう気がしないけど!?!?」
そうですか。
そういう気がしなくても、そうなのです。
逆に、「ああ、全部が幸せなんだ」とわかったとしても、その感覚が変わるわけではありません。
全部が幸せだとわかったとしても、相変わらず今感じているそれが幸せの感覚であることに、変わりはないのです。
つまり、わかってもわからなくても、それがそうだということです。
…
幸せとは、「そうでしかないことが腑に落ちる」という言い方もできるでしょう。
世界はただ単にそうであるだけなんですが、それを否定している状態が、幸せではないとう状態です。
そうでしかないものに対して、あれはいやだ、これはいやだ、と言っているのが、幸せではない状態です。
そうでしかない世界を否定することによって、自ら幸せを拒否しているのです。
「これが幸せの感覚?そんなわけないだろ」と、幸せの感覚を、自ら拒否しているのです。
「幸せ?ん~全然感じないですね」っていうそれがそのまま、幸せの感覚です。
それに気づけないのは、「それでないもの」を、求めているからです。
それでしかないものがそれでしかないとわかった時、全ては何の変更もなくそのまま、幸せになります。
世界は変わりませんが、あなたが変わるのです。
そしてあなたが変わると、世界も変わります。
それによって「幸せ?ん~全然感じないですね」っていうそれがそのまま、幸せの感覚になります。
それは、わかる以前の感覚となんら変更はありません。
全く同じものに対して、以前は「幸せの感覚でない」と言い、今は「幸せの感覚である」と言っているのです。
…
幸せの感覚なるものは、幻想です。
そんなものはありません。
事実は、あるものがただ、あるだけです。
みなさん、ありもしないものを、求めているのです。
幸せの感覚なるものは、ありません。
幸せも、ありません。
何もありません。
世界は肯定しようが否定しようが、あるものがただあるだけです。
幸せなんてものはありませんし、幸せの感覚もありません。
あるものがあるままに、ただある状態。
それをただ幸せと「呼んでいる」に過ぎないのです。
「幸せ」なる実体があるわけではありません。
あるものがあるままに、ただある状態。
それって、ただ単に当たり前ですよね。
つまり、幸せって当たり前なんです。
それは探すものでも求めるものでもなく、もともとそうなのです。
あなたが感じているその感覚。
「え~幸せ?全然感じないよ~」
それってもともとそうですよね。
ただひたすらそうでうよね。
その様を「幸せ」と、便宜上そう呼んでいるのです。
「あ~これが幸せなんだ~」と、幸せの感覚がないまま、自分にウソをついて無理にそう思い込んだとしても、やっぱりそれも幸せです。
どこまでいっても幸せから逃れられないのです。だってもともと幸せだから。
幸せの感覚は、無理にこしらえる必要はないのです。
想像上の幸せの感覚を追い求める必要もないのです。
いつどこで何を感じたとしても、それがそのまま、幸せの感覚です。
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