(前々回・前回からの続き)
前々回:幸せとは何でしょう、そしてどうすれば幸せになれるのでしょう
「全てOK」「あるがままで完璧」というと、「じゃあ何をされてもOKなのか」という疑問も出るかと思います。
襲われても、盗まれても、叩かれても、何されてもOKなのか? と。
これもまた前回と同じで、巻き込まれているからこそ出る質問です。
普通そんな場合、放っておいても勝手に然るべき手段を取るはずです。
目の前に石が飛んできたら、考えるまでもなく避けるでしょう、普通。
考えるまでもなく、ごく自然に対処するはずです。
それを「いいのか?悪いのか?」と決めたがるのは、エゴの仕事です。
「じゃあ何をされてもOKなのか?」は妄想です。
起きてもいないことに対する妄想です。
事実は、起こることが起こる時に、起こるべく起こるだけなのに、「そうなったらどうしよう」という恐怖が、予防線を張らせるのです。
つまり、エゴの仕事です。
…
恐怖、不安、恐れ。
我々の普段の行動において、これらに対処することは、よくあることです。
それ自体は別に普通のことです。
しかし、以前も言いましたように、人間はありもしない恐怖、「そうかもしれない」という予断、起こってもいない不安に対してすら、行動を起こします。
ありもしない「幻」に対して、反応するのです。
これは、人間の思考能力のなせる業です。
思考によって、実際にはありもしない幻をデッチ上げ、それに対して行動を起こすという、一種の病的様相です。
人間の悩みや恐れは、ほとんどが妄想です。
…
最近、「彼女なしでは生きられない」と、元交際相手の女性を刺し殺すという事件がありました。
「彼女なしでは生きられない」
本当にそうでしょうか??
そんなことがあるはずありません。
実際彼女がこの世からいなくなっているのに、彼は生きています。
現実に、事実として、彼女なしで、彼は、生きています。
事実は彼女なしでも生きていけますし、彼女以外の誰かでも生きていけます。
それを「彼女なしでは生きられない」と思い込むのは、妄想です。
事実はそんなことあるはずもありません。
…
人間、大なり小なり、こういう妄想を抱いています。
思考能力がある限り、それはそうなります。
思考能力とは一種の「妄想能力」です。
今、現に目の前にない事実をデッチ上げる能力です。
その能力は言い換えると、想像力、創造力とも言えます。
その能力によって、人間は今まで無かった便利なものを次々と生み出し、それによって豊かな生活を手に入れました。
つまり、諸刃の剣なのです。
思考能力は、創造的にも破壊的にも使い得るのです。
…
妄想がひどくなると、考えられないような事態が起こり得ます。
先ほどの殺人事件もそうですが、無差別テロなんて、かなり行き過ぎた妄想の所業です。
事実とはあまりにもかけ離れた妄想の中で、エゴが奮闘しているのです。
脳内に構築されたありえない状況。
そのありえない状況が生み出す、ありえない反応。
まわりの人から見て「ありえない…」「考えられない…」ということも、本人にとっては至って然るべき反応です。
妄想が持つ破壊的な面、不安、恐怖は、大なり小なり誰もが持つものです。
こんな極端な例ではなくとも、「あの人は私を嫌っているに違いない」とか「自分だけが損をしている」といった些細な妄想は、誰の中にもあります。
…
こういった無差別テロや犯罪は、自然界にはありません。
「妄想」がないからです。
動物達は、創造力が生み出す豊かな生活は享受していませんが、そのかわりに苦悩も犯罪もありません。
思考能力がほとんどないからです。
思考能力を持つ我々は、豊かな生活を享受すると同時に、苦悩や犯罪も甘受しています。
思考能力は「諸刃の剣」なので、そういうことになります。
豊かさと苦悩は表裏一体であり、同時に引き受けるしかないのです。
…
「いやいやそんなことはない、みんなの努力によって、思考を創造的にのみ使うことができる」とお考えでしょうか?
その時、それが「考え」であることにお気づきでしょうか?
つまり、それもやっぱり「思考」です。
「思考」とは何でしたっけ?
それは「ないものをデッチ上げる能力」でした。
どんな思考も、あくまでデッチ上げです。
思考について、思考を使って、思考しているのです。
ぐるぐるの渦に巻き込まれているのです。
その思考は、やはりデッチ上げられた幻であり、事実とは無関係です。
事実はただひたすら、現に目の前に見える通りです。
見たまんま、そのままです。
思考という幻の中で右往左往するのではなく、事実を見ましょう。
幻の中で幻を重ねて幻の幸せを構築するのではなく、ただ単に事実を見るのです。
真の幸せは、努力して構築するものではなく、もともとあるものです。
→ 幸せとは何でしょう、そしてどうすれば幸せになれるのでしょう
思考の中に幸せはありません。
思考は「デッチ上げる」能力です。
幸せはデッチ上げるものではありません。
デッチ上げた幸せは、幻の幸せです。
ですから我々は、いつまでたっても幸せを追い求めています。
手に入れたと思ったそれは、いつも幻だったでしょう?
あなたがやるべきは、思考を使って幸せをどうこうするのではなく、むしろ思考から脱け出すことです。
デッチ上げるのをやめて、もともとあるものを見ることです。
そこにはどんな質問もありません。
どんな解答もありません。
あるものがただ、あるだけです。
幸せも一種の概念であり考えですから、そこを脱け出すと、もはや幸せもクソもありません。何もありません。
ただ、それ。
です。
思考から脱け出してみてください。
そして、そこにあるものを見てください。
「何もない」しかありません。
「何もない」の問題のなさ、それで良さ。
それを便宜上「幸せ」と呼んでいます。
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