何が気持ちいいのかって、「0であること」です。
何か美味いものを食べた、欲しかったものを手に入れた、美女とデートした。
それも気持ちいいことではありますが、真の気持ちよさはそれとは次元が違います。
気持ちよさの親玉は「0であること」です。
0であるとは、何でもないということです。
何も持たないということです。
何者でもないということです。
その気持ちよさは、爆発的なものです。
無限の広がりです。ビッグバンです。
何もないと浮き上がります。
沢山抱えていると、沈みます。
得れば得るほど沈みます。
捨てれば捨てるほど、浮き上がります。
得ることの気持ちよさと、捨てることの気持ちよさは、次元が違います。
誰かに分け与えてもらった気持ちよさと、元から本質的にもっている気持ちよさの違いです。
得ることは、気持ちよさと引き換えに、重量を引き受けているのです、実は。
得れば得るほど、重荷になるのです。
物事に質量があるのは物理の法則です。
「物事」の「理(ことわり)」です。
物理の法則はこんなところにも働いています。
得ることは自らを縛る行為です、実は。
得れば得るほど自らを重くし、自らを縛ることになります。
得る気持ちよさは、トレードオフです。
気持ちよさと引き換えに、重量を得ます。
本当の気持ちよさとは「解放」です。
重量からの解放です。
「捨てる」ということです。
どんなに楽しい出来事にも、どんなに苦しい出来事にも執着しない。
さらさらと水のように流れ、何にも執着しない。
その「流れ」そのものが気持ちいいのです。
流れるためには、何も持たないことです。
誰かや何かに気持ちよくしてもらおうなどと期待しないことです。
誰かや何かによる気持ちよさは、執着を生み、わだかまりを生み、葛藤を生み、失う恐れも生みます。
モノは掴んだ時点で、停滞や逆流が発生します。
そして例のごとく、渦に巻き込まれます。
渦に巻き込まれたら、抜け出すのが大変。
初めから渦を起こさないことが一番です。
…
何も掴まないこと。
全てを捨てれば自動的に気持ちよくなります。
「自動的」にです。
爆発的に気持ちよくなります。ビッグバンですから。
押さえていたフタを外せば、自動的に広がるのです。
これもまた、物理の法則です。
世の中は、にべもない法則で動いています。
法則には特例も例外もありません。
そうであるとなったら、そうであるだけです。
重いと沈む、軽いと浮く。
そのまんまです。
小学生でも知っていることです。
…
0であるとき人は、何かを見ているようで、何も見ていません。
何かを聞いているようで、何も聞いていません。
「何もない」を見ています。
「何もない」を聞いています。
そこには誰もいないし、何もないのです。
人はいるけれども、誰もいません。
何かがあるけれども、何もありません。
だから気持ちいいのです。
邪魔が何もないから、気持ちいいのです。
無限がそこにあるだけだから、無限に気持ちいいのです。
捨てること、軽くなること。
気持ちよく生きることは、逆に簡単です。
難しく複雑に考えても答えは出ません。そういう次元の話ではないので。
手段や結果がどうこうという次元ではなく、単純な物理法則の話です。
世界は小学生でも知っている単純な物理法則で動いています。
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