最善の方法は、「何かをやる」のではなく、「それをやめる」です。
問題を感じる、そして、それに対処するために何かをやろうとするのは、人間の心がそう思っています。
人間の思考による対処は、根本的な解決にはなりません。
思わず「何かやらなきゃ」と思ってしまうことはわかります。
しかし、ここで立ち止まる必要があります。
そして、何かしようとするのをやめるのです。
「あえて」立ち止まる必要があります。
放っておくと思考がぐるぐると回って、あーでもないこーでもないとキリがないので、「あえて」立ち止まる必要があります。
そして、やめます。
やめると、とりあえずホッとします。
わたわたが収まるので。
そしたら別の不安が頭をもたげます。
「でもこのままで大丈夫なんだろうか」と。
そしたら、それも見守ります、ただ単に。
その言葉に反応して何かをするのではなく、ただ単に見守ります。
するとまた、別な何かが出てくるかもしれません。
そしたらそれも、見守ります。
出てくる→反応しないでただ見守る→また出てくる→また見守る…
まるでガマン比べのようですが、とことん見守ります、何も言わなくなるまで。
いえ、言ってもいいんです。何を言ってもいいんです。
何を言ったとしても、ただ見守ります。
見守るのをやめないということです。
トコトン付き合います。
まあ最終的には静まりますね。というか、静かな時間帯が増えますね。
その静かさの中にいてください。ただ単に。
何かが出てくれば、それも見守ってください。
そしてまた静かになったら、そこにいてください。
解決なるものは、そこから湧き起こってきます。意味もなく、勝手に。
決して人間心で何かを「する」ことによって、解決するわけではありません。
かといって、期待してもいけません。
「さあ出ろ、早く解決出てこい」と思うのは、それもすなわちエゴの声なので、まあそれも出たとしたら、ただ単に見守ります。
最終的にはその静かさが心地よくなってくるかもしれません。
何もないわけですから。
足を引っ張る要素も、不安にさせる要素も、何もないわけですから。
とはいえ、喜ばせる要素も、楽しませる要素もありません。
しかしながらそこには、何もないことの心地よさや安心があるかもしれません。
その静けさに親しむと、自動的に人生はうまくいきます。
「勝手に」湧き起こるわけですから。
そしてそれに対するジャッジも何もないわけですから。
引っかかりが何もないのです。
それがすなわち、「うまくいく」ということですね?
スムーズに人生が流れるということです。
勝手に湧き起こり、勝手に展開する様を、ただ見ている。
何の引っかかりもなく、ただ単にスムーズに流れている。
これがすなわち最善、ということですね。
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