約束

私は私に、会いにゆく。

 

肌寒い季節が終わるころ、私は一人の男性に出会った。

穏やかなその紳士は、穏やかな微笑をたたえながら、私にこう言った。

「あなたを待っている人がいる」と。

 

もちろん私には、心当たりはない。

それでも彼は、会いに行くように勧めた。

穏やかながら、力強く。

 

それで私は、その場所へと出かけていった。

微かな期待をもって。

 

「何の期待?」

それは自分でもわからない。

でも、何かが起こることだけは、知っていた。

 

その場所には誰もいなかった。

いくら待っても、誰も来なかった。

期待が不安に変わり、そして失望に変わる頃、彼は現れた。

 

 

それは私だった。

まぎれもなく私だった。

いや、どこからどう見ても、私ではない。

何ひとつ似てやしない。

整った顔立ち、スラリとした四肢、優雅なストライド。

どこからどう見ても、私ではない。

しかし彼は、まぎれもなく私だった。

 

「やあ、おまたせ」

当たり前のように彼は言った。

呆気に取られて何も言えない。

 

屈託なく彼は、「じゃ、行こうか」と促した。

(どこへ?)

言葉は出ない。促されるままに歩き出した。

 

歩きながら彼は、いろんなことを話してくれた。

家のこと、今ハマっていること、こないだ買ったゲームのこと。

他愛もないことをいかにも楽しげに、さも嬉しそうに。

 

頷くしかなかった。

ほとんど耳には入ってこなかった。

 

ようやく聞けた。

「あなたは誰?そして一体どこへ行こうというの?」

彼はいたずらっぽく笑った。

「もちろん知っているよね」

 

うん、知っていた。

彼が誰で、どこへ行くのかも。

 

それは自分で決めたことだった。

風化して消えかけていた記憶の断片が、ポツポツと蘇る。

 

 

かつて彼と私は、ひとつだった。

たくさん遊び、たくさん笑い、そしてたくさん泣いた。

私たちは感情豊かだった。

笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣いた。

疲れを知らず遊び、そして気の済むまで眠った。

 

豊かさと自由が、そこにあった。

何をしてもよかったし、何をしなくてもよかった。

心の底まで全てを忘れ、そしてただ、今この時を楽しんだ。

 

私たちは最高の遊びを思いついた。

それは「苦難」だった。

自分をいじめ抜こうと、闇へ落ちようと。

「空腹は最大の調味料」という。

最大限味わうには、最大限腹を空かせるべし。

 

私たちはこの思い付きにゾクゾクした。

最大限腹を空かせてやる、そして限界ギリギリでご馳走に食らいついてやる。

私たちは意気込んだ。

そして、闇へと落ちていった。

 

 

全てを忘れて、闇に没頭した。

文字通り、全てを忘れて。

 

これが遊び? 冗談じゃない。俺は真剣なんだ!

生きるために必死なんだ。遊んでいるヒマなんかない。何をバカなことを言っているんだ。

 

真っ逆さまに落ちていった。

キレイに180°逆を突き進んだ。

突き進んで突き進んで、突き進めるところまで突き進んだ。

もうダメ、限界というところまで来た。

いや、あるいはもう限界は超えていたかもしれない。

そこまで自分を追い込んだ。

 

これは真剣な遊びだ。

命を懸けた真剣な遊びだ。

限界ギリギリまで攻めるんだ。

 

 

私は私に会いにゆく。

その時が来たようだ。

限界ギリギリの空腹を抱え、ついにご馳走にかぶりつく時が来たようだ。

 

私は私に約束した。

必ずや限界ギリギリの空腹で帰ってくると。

誰よりも限界ギリギリまで攻めてみせると。

 

身も心もボロボロになり、もはやこれが遊びであるということすら忘れるくらいまで、自分を追い込んだ。

約束は十二分に果たした。

私は私に満足し、そしてこれから起こることにワクワクを抑えきれなかった。

 

私たちは顔を見合わせると、少し足を速めた。

コメント

  1. もるーぱ より:

    更新ありがとうございます!

    結構ぎりぎりです、いま。

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